第9話 謝るって。誰に。なにを
杉岡は、中学に上がった睦月が初めて作った女友達だ。だから俺も、親しいとは間違っても言うことはできないが、その頃から杉岡のことを知ってはいる。
しかし、これまでの付き合いで、杉岡から俺にこんな風にして話しかけてくることはなかった。たまに、睦月を間に挟んで、言葉を交わしたことがあるぐらい。『ギンチャク』なるあだ名をつけられたのは俺としてもあまりいい思いはしていなかったし、杉岡は杉岡で俺に対してむしろ反感のようなものを抱いていたんじゃないかと思う。
だというのに、わざわざ向こうからこうして話しかけてくるとは何事か。意外に思う俺を見下ろしながら、杉岡は「合コン行ったんだって?」と言葉を続けた。
「……なんで、杉岡が知ってんだよ」
「笹原のクラスの、なんだっけ? 森林君って、なんていうか声おっきいよね」
混じってる。森畑と竹林が混じってる。
「その時にユニット組んだんだって?」
「は? ユニット?」
「みどりの窓口」
そう言って少し、陸上部らしく日焼けした顔に杉岡は笑みを浮かべた。
「あたしもちょっと入れそうなユニットだよね。杉だし」
「まさか入りたいのか?」
「それこそ、まさか。てか、笹原がそんなユニット組むことの方が意外なんだけど」
「組んでないから。勝手にあいつらが言ってるだけだから。てか――」
「ふーん、そうなんだ? そもそも笹原に、一緒に合コン行くようなクラスメイトがいたのにも驚いたけど」
「うるせーな、余計なお世話だよ。つーか――」
「でも意外は意外じゃない? 笹原って、姫とヒーローぐらいとしか、いつもつるんでないみたいだったしさ」
「……俺が誰と付き合おうが俺の勝手だろ。って、だからそうじゃなくて!」
強い口調で杉岡の言葉を遮ると、俺はさっきから気になっていたことを口にする。
「なんなんだよ、さっきから。なんかおかしいぞ、お前」
「おかしいって、なにがよ?」
「呼び方」
はっきりとそう指摘する。
「お前、俺のこと、笹原なんて呼んでなかったろ。もっと別の――」
「ギンチャク?」
「そうそれ。これまでずっとそう呼んできたのに、今日はなんで普通に名前で呼んでくるんだよ」
「あぇ……んとんと、それは、あー、ほら」
そこでにわかに、杉岡はもじもじとし始めた。体の後ろ側で手を組んで、なんだかこちらを真っすぐ見てこない。その態度に疑念を覚えて訝しげな目を向けてみても、視線を合わせようとはせずに逸らすばかりだ。
そしてあろうことか、「いや~、ん~、いやいやいややっぱなんでもないっていうか特に意味とかないっていうか別に? うん」などと、この期に及んで杉岡はごまかそうとした。
「……あのさあ」
「な、なによ」
「それで俺が、『そっか、なんでもないのか。変なこと聞いて悪かったな』とかって返すと思ってたりするわけ?」
そう問いかけてみれば、「そ、それはぁ……」と杉岡が視線を泳がせる。図星だったのかもしれない。
だが、やがて観念したかのように俯くと、互い違いに上履きの爪先をパタパタ上下させながら彼女は口を開いた。
「えっと、さ。その……ちょっと反省してさ」
「反省?」
「あと、なんか、謝らないとなって。……そんなようなこと、思って、みたいな」
「謝るって。誰に。なにを」
「笹原に」
言いながら杉岡は、ひゅっと短く息を吸う。そうして吸い込んだ息をそっと吐き出すかのようにして、言葉を続けた。
「……ギンチャクって、最初にあだ名つけたこと」
「……」
「ちょっと、さ。最近、そんな風に思って。二人ともあんなんなっちゃって、なんかそれ見てたら、なんかね」
睦月と正人が付き合い始めて、それを見ていたら……と、つまりはそういうことなのだろう。
「最初はさ。多分、軽い嫉妬だったんだよね。ギンチャクとかって呼び始めたの」
「嫉妬って……なにがだよ」
「あたしは、睦月の学校の友達で、笹原は睦月の大事な友達だから」
妙にきっぱりと杉岡が断言する。
「だからなんか、自分の友達に自分より大事な友達がいる、みたいなのが嫌で。嫌っていうか、悔しくて? みたいな。だから、それで」
「あだ名でもつけてやろうって?」
「……うん」
顎を引くようにして杉岡はうなずいた。
「でも……でもさ。最近、なんか笹原、あんま二人と一緒にいないじゃん。あれ、珍しいなって、最初は思ったんだけど……だんだんおかしいなって思うようになって。なんでだろ、って考えたりして」
「……」
「でも普通に考えたら、嫌だよなって。そういう呼び方みたいなの、みんなしてたし。ギンチャクも気づいたら定着してたし。ああ、居づらいよな、そんなのなんか苦しいよな……なんて」
そしてそれが誰のせいか考えたら、あたしだったんだよね、と困ったように杉岡が笑う。
「……こういうあだ名ってさ。言う方は、全然そこまで気づかないんだなって。でも言われる方はそんなことなくて、だからもしかしたらずっと、知らない間にすごい傷つけてたのかなって。そう思ったら、謝らないといけないなって……今になってこんなこと言っても遅いのは、分かってるんだけど」
「……はぁ」
杉岡の話を聞いた俺は、思わずため息をこぼしていた。
内心では、「ハァ!?」みたいに思っていた。「なんなんマジで!?」とも、感じていた。
少しキレ気味に、「ほんとなんなのコイツ!?」などとも思ってしまう。
だって、そうだろ?
こんなの、あれすぎる。あまりにも、その、なんというか。
いい子すぎか? いやマジで。
普通に考えてこれぐらいのことで謝るやつなんてそうはいない。自分が悪いなんて思わないし、相手の立場に立って考えられないし、気づけない。だというのに、こうして気づいて、しかも謝罪までしてくるなんて、いい子を通り越して尊いまであるとすら思う。
正直なところ、俺はもともと杉岡にあまりいい印象を持っていなかったと思う。ギンチャク、というあだ名だってはっきり言って気分のいいものではなかったし、そのことで少なからず恨みに感じる部分もあった。
けど、杉岡にこんな風にして謝られたら、なんだか文句を言う気も失せてしまう。これまでのことを含めて、まるごと不満も消え去った。
「いいって。別に、もう謝らなくて」
だからまだ、申し訳なさそうに顔を俯けている杉岡に、俺はそんな言葉をかける。
「今はもう、全然気にしてないからさ」
「……ほんと?」
「ああ。……つーか、俺、杉岡みたいなやつ嫌いじゃないよ」
そうやって素直な気持ちを告げてみせると、杉岡は少し困ったように眉を寄せ口を開く。
「笹原に好きになられても、ちょっと……」
「いや、そういうアレじゃねえから」
突っ込むと、今度は杉岡がちょっと笑った。そうやって少しでも笑ってくれた方が、申し訳なさそうな表情よりよっぽどいいと俺は思った。
「さて、と。謝ることもできたし、あたし、そろそろ行くね。お客さんも来たみたいだし」
「客?」
俺は首を傾げるが、それには答えずに杉岡が「じゃあね」と軽い言葉を口にして踵を返した。
その背中に俺は思わず声をかける。
「な……なあ、杉岡!」
「んー?」
肩越しにこちらを振り返る杉岡に、俺は言う。
「睦月にとっては、杉岡だって大事な友達だと思うぞ!
俺は、はっきりと覚えている。
中学に上がった時、睦月が俺に、その報告をしてきた時のことを。
『大樹君、聞いてください!』
と、花開きつつあった美しい顔を、太陽みたいに輝かせて、睦月は言っていたんだぜ?
『初めて、女の子の友達ができたんです! 杉岡さんって、いうんです! 明るくて、優しくて、一緒にいるとこっちまで笑顔になっちゃうような、そんな素敵な人なんです!』
睦月歴が一番長い俺が断言するが、あの時の睦月の笑顔は、本物だった。好きなもの、大切なことについて語る時とまったく同じ笑顔だった。
「だから、胸、張れって、杉岡! ただの学校の友達だなんて、悲しくなるようなこと言わないでさ!」
俺の言葉に、杉岡が一瞬、呆気に取られた様子で目を丸くする。
それから気を取り直したように、「んへへ」と笑顔を浮かべると、
「笹原。あんた、いいやつだね」
と、言ってきた。
「どうでもいい方の、いいやつか?」
「なにそれ。違うって。あんたみたいなやつ、嫌いじゃないかも、のいいやつだよ」
「あのなあ」
わざとらしく困った顔を作って、照れ隠しの言葉を俺は返した。
「なんつか、杉岡に好きになられても、ちょっとなあ」
「いや、そういうアレじゃないから」
呆れたような目で杉岡が突っ込んできて、そして俺たちはまた少し、笑い合った。
***
そうやって笑い合っていたから、俺はその時気づいていなかった。
すぐ後ろに、彼女がやってきていたことに。
今日はまだ、本当に話すべきことが残っていたことを、俺は思い出したんだ。
「——大ちゃん」
背後から聞こえてきた、その声で。
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