第6話 何度も見たから知っている
そんな風に、自己紹介と雑談と食事を終えて店を出たところで、次に俺たちが向かったのはカラオケだった。
カラオケへと向かう途中、「ねえねえっ」と椎川が隣に並んでくる。なにかと思い顔を向けてみると、「にひひっ」と笑顔を浮かべながら彼女は話しかけてきた。
「どうどう? 楽しんでくれてる、笹原君?」
「まあ……それなりには」
「それなりかぁ~。うーん、つまんなさそうにはしてないからまあいっか!」
「そっちは、だいぶ楽しそうだよな」
「そりゃあもちろん! だってほら、今日はわたし、キミが目当てで来てるからね~」
……そういや、森畑が言っていたような気がするな。俺が目当てのコアなファンがいるから今日のこの合コンが成立した、みたいなこと。
とはいえ、こうも明け透けに好意を示されるのには慣れていない。俺の周りで、『ファン』なんてものと縁があったのは、いつだって俺以外の人間ばかりだったからだ。
それは例えば、正人とか、睦月とか、そういうやつら。あとは他にも樹里にだって、バンドのファンが少しはついているみたいなことを言っていたけど、そうやって注目を浴びる役割は俺の周りの誰かだった。
「あのさ……椎川さんって、俺のこと知ってんの?」
なんとなく不思議に思って問いかけてみれば、椎川は、「ん~……ま、ね!」とうなずいてみせた。
「わたしのお兄ちゃんもさ、野球やってるんだけどね。そのお兄ちゃんが森畑君のお兄さんと同級生で、彼と知り合うきっかけになったんだよね。それで森畑君に、泉ヶ丘の女子と合コンしたい~って言われてさ。森畑君が駒ヶ原に通ってて、駒中のバッテリーが駒ヶ原に進学したってのはわたしも知ってたから、じゃあ笹原君呼んでくれる? って聞いたら、おっけ~おっけ~って。そんな感じで、今日は合コンを開いてもらいましたとさ!」
「へぇ……」
「お兄ちゃんが言ってたんだよね。駒中のバッテリー、来るぞ~。特にキャッチャーがいい。目と頭が抜群にいい。あいつは一流を超一流にできるキャッチャーだ! って」
言いながら、「お兄ちゃん、自分はヘタクソなくせに、言うことばっかは偉そうなの」なんて言って椎川は微笑む。
「そんなことは……」
ないけど、と言いかけた俺の口元に、椎川が人差し指を当ててくる。
なにかと思ってきょとんとした目を向けてみれば、彼女は軽やかにウィンクしながら言ってきた。
「あ~、ほらダメダメ。そういう暗い顔、合コンの時にしたら女の子は冷めちゃうゾ?」
「あ、わり――」
「あーあー謝罪なんて聞こえませーん。そーゆー湿っぽいのは今日はナシの方向でどう?」
「……だな。ま、ありがとな」
うなずき、ぎこちなく笑みを浮かべてみせると、椎川もにひっと笑ってうなずいてみせた。
「んー、まだちょっと笑い方が堅いけど……ごうかーく!」
……あ、なんかダメだ。
なんだかドギマギした気持ちになって、上手く椎川のことを見られなくなって……そんな、そわそわとした心持ちになっている間に俺たちはカラオケへと到着していた。
案内された部屋に入ってからも、椎川のぐいぐい……もとい、フレンドリーな感じは相変わらずだった。
「お隣ゲーット!」
などと元気よく言いながら、彼女は俺の隣に座ってくる。それから楽しげな様子でリモコンを手に取ったかと思うと、
「ねえねえ、なにから歌う?」
なんて言って問いかけてくる。
「あ、いや……俺はあとで」
「入れる曲じっくり考える派なんだ?」
「まあ……」
曖昧にうなずき返すと、反対側に座ったアイ
……実はあまりカラオケに来たことがないから、歌える曲がパッと思いつかないだけだというのは黙っておいた。
そして、曲が流れ始めたところで、不意に椎川がグッと顔を寄せてくる。
「……あの、な、なに?」
「なにって?」
「いや、だって、顔、近くね?」
本当に、すぐそこにまで、無駄に整った無駄のない顔の良い女が無駄に顔を近づけてきているのだ。それこそ、吐息が交わってもおかしくないぐらい。
薄暗い照明ということもあり、無駄に意識してしまう。俺でも知ってる有名なドラマのテーマソングが、ちょっと外れた音で歌い上げられている。愛だの恋だのと無駄に女々しい歌詞だった。さっきから無駄に無駄無駄言いすぎではないか?
あと、森畑と竹林の視線がさっきから五月蠅い。横目で二人の方を窺ってみれば、「一人だけおいしい思いしやがって」と顔面が物語っている。……心中お察しいたします。
パーソナルスペースを圧迫してくる感じに耐えかねて、俺は思わず身を引いて椎川との間に距離を作る。だけど椎川は、そんな俺の肩口をちょっとつまむようにして引っ張りながら、
「ちょっと、そんなに離れないでよ」
と、目元を少し鋭くして言ってきた。
「や、でもさ……」
「そんな離れられると、声が届かないでしょ」
「……いや届くでしょ」
「届かないのっ」
妙に断定的な口調でそう言ったかと思うと、椎川は続けて、
「それとも、わたしと話すのが嫌だったりした? カラオケは黙って人が歌ってるのを聞いていたい人?」
と訊ねてくる。
「いや、そんなわけでもないけど……」
「なら、いいじゃない」
嬉しそうに、椎川は笑った。
それからはしばらくの間、椎川がなにかを話しかけてきて、俺が受け応える、というやり取りが続いた。内容自体は他愛のない事柄ばかりだったけれども、証明の薄暗さや距離の近さも相まって、なんだか妙に緊張してしまった。
だけどその緊張感も、椎川の持つ朗らかさのおかげで、一時間もする頃には俺の方でもだいぶほぐれてきていた。
その話題が出たのは、ちょうどそのタイミングだった。
「あのさ。実は気になってたこと、聞いてもいいかな? 笹原君?」
「気になってたことって?」
「うん。えっとね……向居君のことなんだけどね」
その言葉を聞いた瞬間、和らいでいた俺の気持ちが、一瞬で張り詰めたものになった。
この感じの流れは、よく知っている。それと同時に、どこか諦めにも似た感情が、「ああ、この子もやっぱり、
薄暗い照明のせいで、お互いの表情ははっきりとは分からない。だけどきっと、今の椎川は恥じらいを含んだ色合いに頬を染めているのだろう。
「あのさ、去年さ……向居君の――」
「正人なら、今、彼女いるよ」
「え?」
そして、もちろん、そういう時の対処法だって知っている。フレンドリーに接してくる、自分に好意的な女性との話し方は知らないが、正人を紹介してくれと寄ってくる女をあしらってきたことはこれまで何度だってあるのだ。
伊達に長年、人気者の親友をやってきたわけじゃない。それだけに、俺と正人の仲を利用して取り入ってこようとする相手に対する経験値は豊富だった。
「付き合い始めてまだ一ヶ月ぐらいだから、今が一番楽しい時期なんじゃないかな? ちょっと割り込むのは無理な感じあるかなー」
「あ、へぇ……」
「まあ、好きならアタックするだけしてもいいとは思うけど。あ、ちょっと飲み物取ってくるわ」
言うだけ言い切り、俺はまだ半分も中身の残っているコップを手に、逃げるようにして部屋を出る。
なんだな、惨めな気分だった。
***
「……わたし、向居君が好きとか、言った?」
そして、大樹が立ち去ったあと。
椎川悠々が不満げにそう呟いたことに、気づいた者はいなかった。
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