第27話 悪意の仮面は優しく割られて――

 そうですか、そうですか。怒っていらっしゃいますか。それも、とても怒っていらっしゃいますか、と俺は危うい角度で唇を歪めた。


 それはそれは、と心底思う。それは大変――結構なことで。


「で? 俺に文句でも言いに来たわけだ、学園のお姫様とやらは」


 口からそう放たれた言葉の切っ先は、びっくりするほど鋭く尖っていた。まるで睦月を傷つけたいみたいに、いや事実としてその意志を持って、俺は口を動かしていた。


「昨日、あの後、正人と変な雰囲気にでもなったかよ。気まずい感じに関係が拗れて、その原因が俺とでも? だからその責任でも追及しようとして、フラれ男をこうして呼び出し責め立ててやろうとかいう思惑で?」


 煽り立てるような勢いで、本当に舌はよく回る。


 我がことながら呆れ果てるが、それでも言葉のナイフは止めない。二閃、三閃と重ねて次々、舌先を躍らせナイフを操る。やけに静謐な表情で、こちらを見つめる睦月へ向けて。


「それともあれか? 今さら何を言い出すんだお前はと。これまで黙っていたならば、どうして黙り続けていなかったのだと。あんなことを今になって言ってきて、こちらを無駄に困らせるなと。だから我慢して我慢して我慢して我慢して、これまで通り心を押し殺し続けていればすべては丸く収まったのだと、そういうことでも言いたいわけか?」


「いいえ。そのことに関しては、大樹君の気持ちをちゃんと知ることができ、よかったと思っています」


「……ならなんだよ」


 苛立ちに舌を打ち鳴らす。皮肉を、文句を、煽りを、毒を、放ったところで睦月の表情は揺らがない。そのことに、無性に胸をかき乱される俺がいた。なぜうろたえないのかと、どうして静かにいられるのかと、焦りにも似た感情を覚えていた。


「いったい、なにが言いてえんだよ。なにに文句があるっていうんだよ。つーか、っていうか……俺とこうして会って話す理由とか、お前にだってもう、ねえだろ。また・・はねえって、はっきりそうやって告げたじゃねえかよ」


 睦月が好きだと告げたその口で、またはないともはっきり言った。だからつまり、そういうことだと。俺は睦月が好きだから、もうこの関係には耐えられないと。そして、だから、俺たちはもう一緒にはいられないのだと。


 そういうことを、言ったはずだった。だから正人も、俺を睦月の側に置いておくようなことはしたくなくなるだろうと思っていた。睦月だって、俺を切り捨てて正人を選ぶはずだと思っていた。


 だというのに、睦月はこうしてまた、俺の前に現れた。静かな表情の裏側に、本人曰く『とても』怒りをお抱えになって、真っ直ぐな目でこちらを射抜いている。


「ほんとに全然、分からねーよ。なにが言いてえのかも、なにに怒ってるのかも。――邪魔者なんぞをあえて呼び出して、こうして話してることだって」


「……」


「全部全部、わっかんねー。勝手に二人でよろしくやってろ。もう、俺の知ったことじゃねえよ。だいたいよお、俺が入れる隙間なんて、どうせもう残されてなんかいねーんだよ」


 最初、睦月という歯車があって、そして正人という歯車もあった。その大きな歯車の間に割って入って、せっせと互いに回転を伝え続ける小さな歯車、それが前の俺だった。


 だけど今は、大きな二つの歯車は、ぴったりとくっついて上手いこと噛み合っている。そうやって直接くっ付いたなら、小さな歯車の役割はどうなる? そんなのなくなるに決まっている。


 なのに、役割をもう終えたのに、存在を主張し続けたところで意味はない。いや、意味はないどころか、歯車同士が歪んで軋んで全体の回転そのものを止めてしまう可能性だってある。


 だったらもう、回転そのものを守るためには、俺は退場するべきで。


 そうやって俺がいなくなれば、邪魔な異物が消えてしまえば、滑らかな動きで歯車は回り続けるはずで。


「目ざわりなんだよ、お前ら二人は。もうほんとにやめてくれ……俺の前から消えてくれ」


 そうやって、『俺は邪魔者だから』などと言って身を引こうとしたところできっと、こいつらは分かってはくれないから。


 あえて悪意を言葉に乗せて、妬み嫉みで本音を隠して、突き放してやらなければならないのだ。


 そうやって切りつけるようにして遠ざけなければ、睦月も正人も俺を受け入れようとしてしまうから。


 だというのに。


「そういうところですよ、大樹君」


 だってのに、睦月は。


「私は、あなたのそういうところに、今とても、怒っています」


 静かなその目に、確かな激情を湛えながら。


「そうやって、私と正人君を突き放したつもりになって、あなたが一番傷ついている。そういうところに、私は怒っているのです」


 なんて、怒りの理由をはっきり告げてきた。


「ハッ――」


 思わず、短い笑い声が漏れる。喉はまるで引き攣るようで、「ハッ、ハッ」と痙攣するように短く息は漏れ続ける。


 心臓はまるで握り締められるよう。不意にドクドクと、全身を流れる血の音さえ聞こえるような気がした。


「大樹君がそうやって、私たちを突き放すようなことを言うのは、あなたのためではないですよね?」


「な、にを」


「鬱陶しいとか、目障りだとか、そういう言葉で遠ざけようとするのは、付き合い始めた私と正人君がこれから先も上手くいくように、と計らったからではありませんか?」


「自分で言ってて、自惚れすぎてると思わねーのかよ、それ」


「いいえ、まったく。こういう時の大樹君の優しさは、私がとてもよく知っています」


 なぜなら、と睦月は確信を持って言葉を紡ぐ。


「昔、私が、大樹君とは友達ではないと言った時、貴方は私のために怒って下さいましたから」


「……っ」


「ああいう怒り方のできる貴方が、今になって自分のためだけに私たちを突き放そうとするとは思えないのです」


 言葉を口にすることができない。冷静に考えてみれば、睦月の言い分は自惚れだ。希望的観測が過ぎる、お花畑みたいな絵空事だ。


 だけど、見抜かれていたと思ってしまった。なぜバレた!? というような気持ちもあった。


 そんな俺の内心を置き去りに、睦月はさらに言葉を紡ぐ。優しさと思いやりの切っ先で、俺の心を抉りにかかる。


「そうやって大樹君が、私と正人君を想って口にした言葉で、貴方自身が傷ついていることを私は許せないのです」


 悪意で作った俺の仮面を、柔らかに真正面から割り砕いてくる。


「そして、そんな貴方に気づかないふりをすることは、これは非常に申し訳のないことなのですが、私にはできそうにありません」


 少し気弱げに、だけどどこか誇らしげに微笑み、睦月は静かで優しい怒りを、俺に向けて放つのであった。


「なぜなら私は、この先ずっと――それこそいつまでも、貴方と友達・・でいるつもりなのですから」

















「――ふざっけたこと言ってんじゃねえよ、バカ女」

















 言葉を返せない俺の代わりに。


 割って入って睦月を睨みつけたのは、好きな女の彼氏の妹。


 向居樹里。


「思いやるふりして、余計に苦しめて、ナメた口利いてんじゃねえよテメェ」


 本家本元。俺では到底及びもつかない、毒舌使いの後輩だった。

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