第26話 とても怒っている
翌日は、休み明けの月曜日。いつもよりずっと遅く起きた俺は、アユねーちゃんの作ってくれた朝食を食べ、通学路を一人で歩いていた。
こうして一人で通学路を歩くのは、随分と久しぶりな気がした。いつもなら正人が朝練前に、俺を起こしにやってくる。そんな俺たちの時間に合わせて、睦月も駅前で待っている。
だけど今日は、そのどちらもがいない。正人も睦月も、今日はきっと俺を残して二人で学校へ向かったのだろう。そうなるように仕向けたのは、ある意味、俺ではあるのだが――、
「……はあ」
こみ上げてくるのはあくび……ではなく、ため息である。そもそもいつもよりたっぷり一時間、余分に寝ていたおかげだろうか、眠気はまるで感じない。
代わりにあるのは――と思考を巡らせかけたところで、風がひゅるりと首筋を撫でる。春先はまだまだ空気が冷たい。肩を縮こめるようにして体温を奪う風から首筋を守る。それから、「おお、さぶさぶ」などと口にしてみて、駅から溢れ出てくる学生たちの流れに自らもまた乗っていく。
そこで俺は、いつもよりずっと人通りが多いことに気づいて驚く。普段はもっと少ないはずなのに、とそこまで考えたところで、
「……そうか。この時間に登校する学生の方が多いのか」
と、いうことに思い至る。そもそも、正人のような部活ガチ勢は少数派。俺のような一般生徒たちは、本来ならばこれぐらいの時間に登校するものだったのだろう。
「なるほどな……」
勝手に一人納得しながら、誰と話すでもなく足並みだけは揃えながら、俯きがちに道を歩く。正人と違って『持ってる側』などではない俺は、はたから見ればすっかりと他の生徒たちに溶け込んでいることだろう。それこそまさしく、『一般人』とか『モブキャラ』とかいう俗称がハマりすぎているぐらいに。
なんとはなしにスマホを取り出す。特に目的などはないが、適当にニュースアプリなんかを見てみたりする。……へえ、本日の降水確率は三十パーセント。
それから適当なゴシップ記事でも流し読よもうと、画面をタップしかけたところで、チャットアプリがメッセージの着信を告げる。
送り主は睦月。内容はごくごくシンプルで、
『今日の放課後、二人で話せますか?』
と、だけ。
「……っ」
息を飲み、とっさに画面をオフにする。スマホをポケットに突っ込んで、前だけ見据えて足を速める。
逃げるようにして歩く俺のポケットで、スマホが再びヴヴッと鳴ったが、しかし無視。
確認する気にはなれなかった。今さら、なにを話せというのだ。昨日あんなやり取りがあって、どんな面構えで前に立てばいいというのだ。能天気に笑ってみせながら、気さくに片手でも上げてみせ、「よう、昨日は映画、よかったな! また行こうぜ!」とでも言えと? なんの冗談だ、それは。
だからもう、知ったことかと思うのだ。
睦月がどんなメッセージを送ってこようが関係ない。それはもう、俺の一切知らないことだ。絶対に確認なんてしないし、反応だって返してやらない。だからお前も俺のことなどすっかり忘れて、なにからなにまで勝手にしてろ、と本気で思う。
せっかく、『三人』の関係は崩れ去り、『二人』と『一人』になったのだ。だからもう、あとはよろしくやってくれ、『二人』で。
俺は一人でも大丈夫だからさ。
***
なんて、思っていたのだが。
「……で。なんだよ、わざわざ呼び出したりなんかして」
放課後の校舎裏。寂れた雰囲気の場所は湿気もこもって少し陰気で、生徒たちもめったなことでは寄り付かない。
そんな場所へと呼び出したのは、この学園の生徒なら誰もが知っているであろう上月睦月、その人だ。天使然とした面立ちに、気づくか気づかぬかといった微笑みを浮かべ、彼女は俺を待ち受けていた。
「来てくれると思っていました。大樹君なら」
「……あんな風に書かれたら、来ないわけにもいかねえだろ」
睦月から目を逸らしながら俺は答える。
昼休みに、『メッセージの内容ぐらいは、それでも確認しておくか』と思ったのが運の尽きだった。呼び出しに応じるつもりなどなくても、『放課後、大樹君が来るまで校舎裏で待っています』などと書かれたら、無視することも難しい。
そうやってまんまと、睦月の策に乗せられた。放課後を迎えて、迷いに迷って、一度は帰路に向けた足を気づけばこうしてこの場所へと運んでいた。会いたくない女に会うために。
「で。こうして俺がここに来たら、素直に帰ってくれるのか?」
「二人で話せるかどうか、とも送ったはずだと思いますが?」
「はっ――もう話したろ。じゅうぶんに」
そう言って自嘲気味に笑ってみせるが、睦月はクスリともしない。静かで、真剣で……そして見透かすような視線をただただこちらへと向けるばかりだ。
その表情が、語っている。こちらはまるでふざけていないと、真面目に話をしたいのだ、と。だからこそひしひしと伝わってくる――和やかに言葉を交わすつもりが、睦月にもないということが。
そうした気配を察知した俺は、笑いを引っ込めて思わず黙り込む。この場から、逃げ出したいと強く感じる。逃げてしまってもいいじゃないか、と本気で思う。それでも透明な視線に絡め取られて、動き出すこともまるでできない。
「……」
「……」
無言のままに、どれほどの時間が過ぎただろうか。十秒ぐらいの気もしたし、一時間も向かい合っていたような気もする。
だが、そんな
「……率直に申し上げますね」
「……なんだよ」
「あのですね。私、とても怒っているのです」
静かに、睦月が狼煙を上げた。
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