第20話 悔しいぐらいに
俺たちが訪れたのは、駅近くにある大型のショッピングモールであった。飲食店や雑貨店、映画館、美容やファッションなどといった店舗に加え、上階にはスポーツ施設まで備えた複合施設である。
約束していた集合時刻は三時だが、待ち合わせ場所に指定されていたモール近くのランドマークに俺が到着したのは二時半である。野球部時代の時間前集合という習慣が、どうやら今でも俺の中に残っているらしい。
そして、そんな律義な習性を持っているのはどうやら俺だけではないようで。
「……あっ」
ボディバッグを肩から掛けた俺の背中に、そんな声が聞こえてきたのは、金の時計を見上げて時間を確認していた時だった。
振り返ると、そこにいたのは睦月である。落ち着いた色合いの、ゆったりとした印象のワンピースに、色味を抑えたカーディガンを羽織っている。頭には少しサイズの大きめなキャスケット。
「よう。それ、着てきたんだな」
「……ええ」
頬を染めて、睦月がそっと目を逸らす。
「よく似合ってるぞ。正人も多分喜ぶんじゃないか?」
「……っ、そ、それは、その……い、言わないでください、いきなりそんなことっ」
揶揄う口調で言ってやると、目に見えて睦月が狼狽える。初々しい感じに照れている睦月は、いかにもといった感じで浮かれているようだった。
「いーや、言うね。しっかし、微笑ましいねえ。彼氏の好きな服をわざわざ選んで着てくるなんて、甲斐甲斐しくていいんじゃねーの?」
「そんなの……当たり前じゃないですか。正人君には、少しでも可愛いと思ってもらいたいですから。それに――」
むっ、と可愛らしく眉をひそめて、睦月がこちらを睨みつけてくる。
「正人君が好きなタイプの服だからといって、この服を買わせたのは大樹君ではありませんか。そんなに揶揄わないでください……」
「はいはい。悪かった悪かった。これはわたくしが悪ぅございました、お姫様」
「……その呼び方、やめませんか? あの、普通に気恥ずかしいので……」
「正人は睦月の恥じらう姿も好きらしいぞ?」
「ご冗談を。そんなこと言って、大樹君がただ私を揶揄って面白がりたいだけでしょう?」
「バレたか」
そう言って舌をぺろりと出してみせると、睦月は「もうっ」と言って綻ぶような笑顔を浮かべる。ああ、チクショウ、そんな表情も可愛いなあ――なんて気持ちには、なるべく気づかない方向で。
「まったく。大樹君には困ったものです」
眉をひそめて呆れた様子を見せながらも、睦月の態度は柔らかい。彼女のこうした物腰の柔らかさは生来のものだが、表情は昔よりもずっと豊かになった。
怒った顔、剥れた顔、拗ねた顔、呆れた顔――それに、笑顔。睦月のそんな、色んな表情を見ていると、俺は「よかったな」と思うのだ。
だから――。
「なあ、睦月」
「はい、なんでしょう?」
「……おめでとう、な。色々と。よかったよ、ほんと」
色んな祝福の感情を込めてそう告げると、睦月が口元をもにょもにょとさせる。
「それは……これも、全部大樹君のおかげなのですよ? だから、こちらこそありがとうございます、です」
照れくさそうに礼を告げる睦月の表情は、いかにも幸せそうだった。
だが、そんな幸せそうな表情も、すぐにもじもじ……というか、ドギマギした感じのものになる。不安げな色をにわかに浮かべ、「ところで、その……」と睦月が話しかけてくる。
「どうした?」
「えっと……あの、ですね?」
口を開きながら、睦月は落ち着かない様子で、乱れてもいない服の襟元を整えたり、ワンピースの裾を気にしたりしている。そんな、少し挙動不審な仕草を見せながら、彼女は俺に問いかけてきた。
「ほ、ほんとに、ちゃんと似合っているのでしょうか? なんだか……不安になってきてしまいました。お、お化粧とかも、その……これぐらいでいいのでしょうか? ど、どうしましょう、どうしましょう……本当は私が気づいていないだけで、とんでもない恰好になっていたりはしないでしょうか?」
「……あのなあ」
まるで普通の女の子みたいに狼狽える睦月を前に、俺は思わず呆れた声を出す。
こんな風に悩む姿は、昔のように『孤独な女の子』なんかでは、決してない。そして、それはとてもいいことだ。平凡なことで悩めるということは、きっと幸せなことだから。
だから俺は、睦月を安心させようと口を開きかけたところで、ふと、とある悪戯を思いつく。
「うーん、そうだな。こうして改めて見てみると、ちょっと惜しいかもしれん」
顎に指を添え真剣な口調で告げてやると、睦月の顔色がさっと変わった。
「……っ、そ、それは! ど、どこが惜しいのでしょうか!?」
「もっと露出が激しくて、色っぽくて、肩とか背中とか生足を惜しげもなくさらけ出している方が俺は好きだ」
真面目な顔つきでコメントすると、睦月の顔色が次第に赤くなっていく。
それからしばらく、
「~~~~~~っ」
と声もなく睦月は唸っていたが、やがて言葉を取り戻すと、
「そ、そんなのっ、ただの大樹君の好みというだけではないですかっ」
などと、真っ赤な顔でぷりぷり怒り出すのであった。
「もうっ、もうっ」
と不満げに繰り返す睦月に、今度こそ俺は告げてやる。
「大丈夫だ、大丈夫。マジでちゃんと似合ってるから」
「ほ、本当でしょうね!?」
「本当だよ」
それから声を低くひそめて、睦月には聞こえないぐらいの小さな声で、そっと一言。
「悔しいぐらいに、な」
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