第14話 決意の夜に

 樹里と別れて家に帰る。


 玄関の扉を開いたところで、「あら」と目を丸くする母親と出くわした。


「あんた、今帰ってきたところなのね」


「ああ。……そっちはなに、どっか出かけるの?」


「仕事よ、仕事」


 仕事、と言う割には服装はスーツではなく私服だし、顔には仕事をする時とは異なる化粧が施されている。こちらのことをバカだとでも思っているのだろうが、それぐらいのことは俺にだって見れば分かるのだ。


 だがきっとこの人は、仕事だとでも言っておけばこちらが黙り込むと思っている。そしてそれは正解だ。彼女と言葉を交わすことほど、無意味なことはないだろう。


「あっそ」


 俺はそれだけ呟くと、母親が家を出るために場所を空ける。彼女は「行ってきます」の一言もなく、肩にかけたお出かけ用の小さなバッグを揺らして出て行った。


「……」


 いつから、こうなったのかは、もうあまり覚えていない。今は、処分するのにも手のかかる負債を見るような目ばかり向けてくる母親は、しかし昔は温かい視線をくれていたような気もするのだ。


 恋人とどこかへ消えてしまった父親も、幼い頃は大きな腕で俺を抱き上げてくれたことがあるような気がするのだ。


 その記憶が本物かどうか、もはや俺には判断もつかない。家の中がどんどん冷えていくたびに、俺は外に温もりを求めた。正人に、睦月に、時には樹里に。


 だから俺は、あいつらのことが大好きなのだ。家族の温もりとやらがよく分からない分、あいつらの傍にいると俺の孤独も少しは紛れる。


 でも、今は――。


「……チッ」


 舌を鳴らして靴を脱ぐ。今は、もう、正人と睦月は『二人』になった。そんな二人の間に、俺の寂しさを持ち込んでいいわけがない。そんな理由で、あいつらの邪魔をして許されるなどとは思えない。


 なによりそれは、俺が俺を許せない。友人ならば、笑って祝ってやるというのが本来ならば筋なのだろう。


 しかしそれも、樹里に胸の内を打ち明けてしまったせいだろうか。ひどく難しいことのような気がする。今日は後で、鏡に向かって笑顔の練習をしないといけないな。


「おかえり、大樹君」


 リビングに入ると、エプロン姿の鮎菜ねーちゃんが笑顔で出迎えてくれた。彼女の浮かべている笑顔は、なんだか少しだけ寂しげだ。


「うん。ただいま、ねーちゃん」


「ご飯、できとるよ? 食うけ?」


「食う」


「ほいじゃあ、準備するでね」


 強く訛った口調で言いながら、茶わんにご飯をよそってくれる。俺にとってはただ一人、家族と呼べる唯一の人だ。


 鮎菜ねーちゃんの整えてくれたテーブルに、二人分の食事が並ぶ。そして二人で手を合わせて、「いただきます」を唱和する。


「あ、そうだ大樹君。あとでええけぇ、制服出しといてな? アイロンかけといたるで」


 食べ始めると、ねーちゃんがそう言って話しかけてくる。


「え、いいよいいよ。自分でやるって、それぐらい」


「ええけぇええけぇ。そがぁこと言って、前に服に穴ばぁあけとったがや。ここはわたしに任せときぃ。な?」


「だったらねーちゃんがあとでやり方ちゃんと教えてよ……いつまでも任せっきりってわけにもいかないでしょ。こういうのは」


「そうなぁ……んだら、ご飯ばぁ終えたら教えちゃるな。ねーちゃんに任せとき!」


 やんわり微笑んで、ぐっと力こぶを作ってみせる鮎菜ねーちゃん。そのポーズはまるで似合ってはいないが、しかしくさくさとした気持ちはほんの少しだけ軽くなる。


「いつもありがとな、ねーちゃん」


「なによぅ。それは言わん約束だにぃ?」


「これほど積極的に破っていきたい約束事があるとは、俺も思わなかったよ」


「っとにもう、この子ったらそがぁことばかり口にして……年上ば、あんまからかわんどいて?」


 ふくれっ面になるねーちゃんを見て、なんだかおかしくて俺は思わず吹き出してしまう。


 同時に、一つの決意を胸の内で固めていた。


 樹里に話して認めたら、もう目を背け続けることはできないことに気づいたのだ。すべてをきちんと終わらせなければ、後にも先にも進めないということに。


 だからきっと、感謝しなけりゃならないんだろうな。あの小憎たらしい、幼馴染で親友だった・・・

やつの妹をしてる、猫っ被りで口が悪くていちいちウザい後輩に。

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