第13話 苦いポッキー
「え、なに? 先輩、音楽でもやりたくなったわけ?」
訝しげな目つきで訊ねてくる樹里に向かって、俺は首を横に振る。
「いや、別に。ただ、なんとなく、ギター弾けると女にモテそうだなって思っただけ」
「なにその不純な理由……いかにも童貞って感じで笑えるんですけどぉー」
「そんなもんだろ。男なんて」
男がなにか新しいことを始める理由なんてのは、そのほとんどが『女にモテたいから』だと俺は思ってる。バンドとか、スノボーとかはその典型。それができるというだけで、女からチヤホヤしてもらえそう感がすごい。
そんなことを俺が考えていると、樹里はすっごい白けた目つきで、
「ゆっとくけど、バンドやっても女にモテるわけじゃないかんね……?」
と、ガチなトーンで忠告してきた。
「マジ?」
「マジマジ。モテるのはめちゃくちゃ真剣に音楽やってる、めちゃくちゃ上手いやつか、あとはそだなあ……そこまで上手くはなくても顔がとりあえず良くてステージ映えする見た目してる男だけ」
「顔がとりあえず良くてステージ映えする見た目してる男は、バンドしてなくてもモテる気がするんだが?」
「そんなもんでしょ。女なんて」
「夢ねえな、バンド……解散するわ」
「組んでもないでしょ。……てかさー」
冷淡なツッコミを入れてきた樹里が、そこで僅かに言い淀む。
言葉を飲み込んだ気配を察して、「なんだよ。言えよ」と先を促した。
「……いや、別にぃ? 先輩はバンドとかやるよりも、野球やってた方が女にはモテるだろうなって思っただけですしぃ?」
「それこそ、バカゆーな、だ。野球なんてやってみろ。汗臭いし埃っぽいし、何より頭はいがぐり坊主だしで女になんて見向きもされねえ」
「アハッ、それは確かに言えてるかもー。……でもさ?」
「あん?」
「先輩がまだ中学で野球やってる時、そんな先輩に惚れてた女の子を、少なくともあたしは一人だけど知ってるよ?」
そんな樹里の意外な言葉に、俺はハッと彼女に目を向ける。だが、俺の目に映ったのは、こちらを揶揄うような意地悪な笑顔だった。
「うわっ、反応しまくりで超ウケるんですけどー☆ なになに? そぉ~んなに、せぇんぱいに惚れてたって女の子のことが気になっちゃうのカナー?」
「うるせえな。こちとら、モテない男を正人の隣で何年もやってると、いい加減潤いの一つも欲しくなるんだよ」
「じゃ、潤い与えたげよーか? お安くしとくよ、おにーさん!」
「金取るのかよいらねーよ。つーかそもそも、樹里相手だと有難みがな……」
「うっわひっでー」
これ見よがしにやれやれと首を振ってみせると、樹里はケラケラと俺の反応を笑い飛ばしながらカバンからポッキーの箱を取り出した。
そしてそれを、口に放り込んでポキッと折りながら、「ま、でもさでもさ?」と呑気に言葉を続ける。
「先輩が一番カッコよかったのは、やっぱ野球やってた時だなって思うよ、実際」
「今さらいらねえよ、フォローなんて」
「フォローじゃねえし。マジだし。超マジ寄りにマジマジだし」
「マジって言葉がゲシュタルト崩壊してるぞ。ってか、どっちにしろありえねえだろ。あの頃の俺がなんて言われてたか、お前だって知ってんだろ」
正人のお荷物。
捕れないキャッチャー。
おこぼれのレギュラー。
他にもまあ、もっと色々と言われたりしていた。最初は傷ついて、次第に悔しくなって、ある日を境になにも感じなくなったけど。
同じ中学に通っていた樹里が、それを知らないわけがない。それに俺が、正人についていけてなかったのは、事実だ。
でも。
「確かに色々言われてたけどさ。大ちゃんがマジで真剣にやってたことには変わりないじゃん?」
樹里はさらりと、そんな言葉を口にする。
「北之原のバッティングセンター。大ちゃん、よくあそこで練習してたよね? 兄貴に隠れて」
「……なんだよ知ってんのかよお前」
「まあ、うん。スタジオ近いんだよね、あそこ」
当時の練習をこっそり見られていたことを知り、不意に顔が熱くなる。なんだか無性に恥ずかしい。
だが、そんな俺の内心を知ってか知らずか。
「モテたいなら覚えとくといいよ、せぇーんぱい。女の子にはさ、男の子の真剣な横顔に憧れるって子もいるってこと」
なんて、歌うような口調で告げてくるのであった。
「はあ、そすか」
「うわー、なにその塩みたいな反応」
「真剣に野球をやっていた頃の俺に憧れてくれていた女の子と、この先話す機会もないんだろうなと思ってな。世の無情を儚みたくもなるだろ、こんなもん」
「あー……その、それについては頑張れというかちゃんと気づいてやれというか……。いや、むしろちゃんと気づいてもらえるように動くべきなのかな、これは?」
なぜだか引き攣った笑顔を浮かべながら、樹里がブツブツと何かを呟いている。「こいつ、ほんとどうにかしないと……」みたいな失礼な目を向けられている気がするぞ?
樹里のそんな態度を見ていると、胸の奥からため息がこみ上げてきてしまった。
「はあ……」
「人の顔見て、重苦しいため息をつくの、マジでやめてもらえますぅー?」
「いや、ふと思ってな。きっと俺なんかを好きになってくれるような子は、お前とは全然タイプの違う感じなんだろうなって」
「……ふーん?」
「きっと控え目で優しくて、いつも穏やかな笑顔を浮かべていて、素朴ながら温かみのある家庭的な女の子……っておいコラ、なにいきなり速足になってんだお前。ちょっと待て樹里。置いてくな」
「っせぇなー。そんなんだからモテねえんだよ、チビパイセン」
「身長のことは言うな!」
ったく。なにをいきなり不機嫌になってんだ、こいつは? 慌てて走って隣に並ぶと、これ見よがしに今度は樹里の方が俺に向かってため息をついてきた。
「ほんと、これだから童貞は」
「だから、異性と粘膜接触をした経験の有無で人を差別するのはよろしくないと何度もだな……」
「はいはい。ごめんてごめんて。ほら」
と、ポッキーを一本、樹里が俺の口に突っ込んでくる。
「これで手打ちね。機嫌直してちょ?」
「相変わらず、調子こきやがって」
呆れながらも口に突っ込まれたポッキーをおとなしく頬張る。うん、甘い。
「てゆーか先輩さあ。この際だから確認しちゃうけど……実は惚れてたっしょ。あの清楚系な感じの顔した女のこと」
「……お前、その呼び方どうにかしてやれよ。仮にも兄貴の彼女だろ、睦月は」
「あたし、あの女嫌いだから、なるべく名前で呼びたくないんだよねー」
注意をしても、樹里が耳を貸す様子は微塵もない。以前から何度か指摘しているのだが、彼女の反応はいつもこうだ。
樹里はなぜだか睦月のことを嫌っている。懐く様子は塵ほどにもなく、睦月の方から交流を持ち掛けても毎回袖にされている有様であった。
なぜ睦月のことをこれほどにまで樹里が嫌うのか、その理由を俺は知らない。別に睦月の方が樹里になにかをしたであるとか、そういう話は聞かないのだが、蛇蝎のごとく嫌悪しているのは間違いがなかった。
「ってか、呼び方の話は今はどうでもいいじゃん。実際どうなの? 惚れてたのか、そうじゃないのか」
「あのなあ」
「他の人には適当なこと言ってるみたいだけど、あたしにはごまかしても仕方ないじゃん。付き合いだって長いんだしさ」
そう言われると、そんなような気がしてくるから不思議だ。それに、見た目も口調も軽い樹里だが、人の気持ちを言いふらすようなことをして面白がるようなやつではないということは、長年の付き合いで俺も知っている。
だから、こいつには言ってもいいか、という気持ちになっていた。
「……ま、そうだな。睦月には惚れてたと思う」
「やっぱかー」
「だからって、正人と睦月の仲をどうこう言うつもりはねえけどな。そもそも俺が睦月に惚れてるのを自覚したのは、睦月が正人に惚れてる目を向けてるのを見た時なんだし」
「あー……それもまた、あるあるだねえ」
「そう。あるあるなんだよ」
「分かるかもなあ。そういう惚れ方しちゃう感じ。だから余計に、なにも言えない」
「そうだな……あとは当時の俺にとっては、恋愛よりも野球の方が大事だった。正人にちゃんとついてくためには、女に惚れてる暇はなかったな」
「それで、あの清楚系を兄貴に譲ったと」
「譲った、って言い方はなんか違うだろ。最初から、勝負になってなかっただけだ」
「ふーん……」
「あとは、そうだな……睦月には、笑顔でいてほしいからな。その辺、正人なら大丈夫だろ」
「健気なのか、カッコつけてやせ我慢してるだけなのか、判断に迷うところだねぇ~」
おもむろに、樹里が俺の口に再びポッキーを突っ込んでくる。
俺がそのことに目を丸くしていると。
「最後の一本。特別サービス」
と、ニッと笑って樹里は言った。
それをもぐもぐと咀嚼する。
「苦いな……」
「そりゃ、ポッキーだからね」
どういう理屈だ、と言って返そうと思ったけれど、なぜだか樹里の言葉に納得してしまった俺は黙って静かにうなずき返すに留めるのであった。
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