第11話 心配ぐらいはしちゃうでしょ

 一人になると、急に手持ち無沙汰になる。この後はどうしたもんかな、と考えながら、とりあえず俺は駅の方へと足を進めていた。


 そして結局、駅近くにある古本屋に俺は入った。なんだか家に帰るような気分でもなかったし、だからといって一人で街をぶらつくのも気が乗らない。なにより、デート中の正人と睦月にばったり出くわしたりしたら気まずいなんてもんじゃない。


 そんな理由で入った古本屋は、個人経営のボロい店だ。今どき珍しく、平台には古雑誌なんかも雑多に積み上げられている。そういった雑誌を漁っては、ぼんやりと時間を潰したりするのを、俺はけっこう気に入っているのであった。


 今日も今日とて、適当に手に取った雑誌を開いて目を通す。表紙は水着のねーちゃんで、中を見てみればR指定で十八がつきそうな過激な内容だったけど、すべては偶然だ。だけど手に取ってしまったなら仕方ないよね。アハンでウフンな内容に、じっくり順番に目を通していく。


 ……うおお、すげえ、ロープがこんな風に……へえ、いいな、縄ってのも……。


 なんてことを思いながらページを捲っていると、不意に後ろから、トントンと肩を叩かれた。


 店員が立ち読みを注意しにでも来たのかと後ろを振り向くと、派手な顔面の女が「うぃーっす!」と上手いこと作った笑顔をこちらに向けていた。背中には、おなじみのギターケースを背負っている。


「うっげ」


 反射的に俺は顔をしかめる。すると樹里は、不満の色を込めてこちらをムッと睨んできた。


「なんなんですかぁー? その失礼な反応」


「妥当な反応だろ。自分の日頃の行いを振り返ってみたらどうだ?」


「えぇー? そーだなぁー?」


 樹里はそう言いながら、アヒル口を作って人差し指を顎に当てる。それから、「うーん」と愛嬌たっぷりに小首を傾げた。


 そしてしばらく考えるような素振りを見せたかと思えば、


「常日頃から、とてもかわいくて、とても魅力的で、スーパーミラクル素敵なあたしだってことは分かるかなー☆ せぇーんぱいと違ってぇ?」


 などという何とも憎たらしいセリフを口にしやがった。


「お前、そういうところだぞ」


「えぇー? そういうところってなぁにぃ? はっきり言ってくんないと、樹里ちゃんわっかんないなー☆」


「へーへー、そうですか。好きにほざいてろ。永遠にな」


 呆れ交じりに返しつつ、読んでた雑誌を平台に戻す。


 まったくもってとんでもない女である。人を煽り倒すことに、人生をかけているのではないだろうか。


 そう思いながらこれ見よがしにため息をついてやると、「ごめんてごめんて~☆」とふざけた調子で樹里が両手を合わせてきた。


「拗ねた顔すんなよ先輩~。いくら樹里と比べてぇ? 先輩がぁ? 全体的にイマイチ冴えないからってさぁ~」


「やっぱお前喧嘩売ってんだろそうなんだろ」


 なんて返しながらも、樹里とのこうしたやり取りを本気で不愉快に思ってるわけじゃない。


 こうして憎まれ口を叩きあうのも、隙あらば互いに煽ったりするのも、こいつとは挨拶みたいなもんなのだ。


 むしろ今さら、他のやつを相手にする時のような、媚びた態度を取られる方が違和感を覚えてしまうだろう。


「で? その全体的にイマイチ冴えない俺にこうして絡んでるお前は、こんなところでいったい何をしてるんだ?」


「う~ん、どうしよっかな~、教えてあげよっかな~? でもな~、せぇんぱい、女の子に興味津々なスケベさんだから、プライベートのこと話すのなんだかこっわぁーい。キャッ♪」


 俺が平台に置いた雑誌の表紙に視線を向けながら、懲りる様子もなく樹里が煽ってくる。


 ……いちいち人を小ばかにしないと会話の一つもろくにできんのか、この女は。なんだかバカバカしくなって、「じゃあいーわ」と言って俺は店を出た。


「わーっ、待って待って! マジでごめんってせぇんぱいってばー!」


 すると今度は、本当に焦った様子で謝罪の言葉を口にしながら、樹里が後を追いかけてきた。


 歩く俺の前に回り込んできて、真剣な様子で拝み倒してくる。


「ほんとにごめん。ね? 今のは確かに冗談キツすぎたカモっていうか……とにかく、ほんとに悪いと思ってるから。ね? ね? 許して?」


「あのなあ……」


 あまりに調子がいいもんだから、つい文句を口にしかけて……だけどこちらに向けられた樹里の目の奥に本気の謝意がこもっているのを見て、仕方なく俺はため息をこぼす。


「ったく……わーったわーった。別にそこまで怒ってるわけでもねーから、そんな目すんなっつの」


 それからそう告げると、普段の媚びた笑みよりもずっと幼い笑顔を樹里は浮かべた。


「やった! えっへへ、せぇんぱいのそういう甘いところ、けっこうあたし好きカモ?」


「疑問形かよ。あと甘いとか言うな」


「チョロい、の方がよかった?」


「チョロくねぇ。風評被害やめろや」


「アハハ、まあほら、意外とチョロくないことは、ちゃんとあたしも知ってますケド?」


「どーだかな」


 そんな風に言葉を交わしつつ、歩く俺の隣に自然と樹里が並んでくる。こういう時の仲直りも、幼馴染をやってれば手馴れたものとなっていた。


「で? 話戻すけど、結局お前はあの店でなにをしてたんだ? 樹里と古本屋って組み合わせとか、意外なんてもんじゃねえぞ」


「え~? そんな意外かな~。あたしこれでもけっこう本は読むほうだと思うんですケドぉ~」


「本は本でも漫画本だろ」


「本であることには変わりないじゃ~ん。っていうか先輩だって、雑誌とエロ本ぐらいしか読まないくせに」


「エロ本なんて俗な言い方をするな。エロスは人間の文化的資産だぞ」


「あたしは今、先輩に、デリカシーをデリバリーしたい」


 もんのすげぇ冷たい目を樹里がこちらに向けてくる。これだから、芸術を解さない女というやつは……。


「そんで。あたしがあそこにいた理由だっけ?」


「ああ」


「んーっとね。まあ、一言で言っちゃえば」


 口を開きながら、樹里が横目でちらりとこちらを見る。


「先輩をたまたま見かけちゃったのが原因かなー?」


「ほう。ちなみに、先輩とはどの先輩のことだ?」


「背がちっちゃくて、憎まれ口をよく叩いて、皮肉屋で、デリカシーのない、スケベな男の笹原大樹先輩、のことかな~」


「そこはシンプルに、笹原大樹先輩、だけでいいだろ」


「意外と周りに気を遣ってばかりで、そのせいで損ばかりしてて、だけど自分が損してるなんて顔は人に見せないようにしているせいで、誰からも大丈夫だって勘違いされてる笹原大樹先輩でもいいよ?」


「そんなかっこいい笹原大樹は、俺の知らない笹原大樹だな」


「とかなんとか言っちゃって、いつもやせ我慢してるくせに」


 少し、非難するような口調で、樹里がそう言ってきた。


「河川敷でさ。一人寂しく歩いてる背中見ちゃったら、なんだかこっちも気になっちゃうじゃん」


「俺に目をつけるとは、なかなか見所のあるストーカーだな」


「え~、先輩マジで自意識過剰なんですケドぉ~。キモいんでそういうナルシ発言やめたほうがいいと思いまーす☆」


 冗談交じりに言葉を返すと、キャピキャピとした声と笑顔ですかさず煽り返してくる。


 だけどすぐ、樹里はそのおちゃらけた表情をふっと消して、どこか色のない目を向けてきた。


「……って、いつもすぐに冗談でごまかそうとするから先輩は損ばかりするんだよ」


「いつになく真面目な、お前。似合わねえ~」


「大ちゃんのことであたしが真面目になったらいけないの?」


 いつからか『先輩』呼びになったけれど、樹里は昔、俺のことを『大ちゃん』と呼んでいた。その頃の樹里はまだ素直で、『兄ちゃん』とか『大ちゃん』とか言いながらにこにこと俺と正人の後をついてくる女の子だった。


 その関係がどのタイミングで変わったのか、俺もはっきりとは覚えていない。だけど気づけば、今のように憎まれ口を叩き合うような関係に、俺と樹里は変わっていた。


「今日って水曜日じゃん。だから兄貴と大ちゃん、いつものところでまたキャッチボールしてたんでしょ、どうせ。でもさ、いつもだったら二人で家まで帰ってくるのに、今日は大ちゃんが一人で歩いてたから。なんだろな、どうしたんだろな、って……心配ぐらいはしちゃうでしょ、普通に」


 淡々と告げられた言葉は、媚びてもなければかわい子ぶったもんでもない。向居樹里という人間の、胸の内から吐き出された、素直で正直なセリフだった。

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