第10話 幸せな温もり

「なんだか、気を使わせてしまったようで申し訳ないですね」


 大樹の背中を見送ったところで、ぽつりと睦月が呟いた。


「そうだな。あいつは昔から、人に気を遣うやつだったからな」


「ひねくれてますけどね」


「そうだな。確かに、ひねくれてる」


「素直じゃなくて、損してますよね」


「ああ。これからどっか行くんだったら、別に三人でもいいのになあ。そっちの方が賑やかで楽しいし」


 そう正人がボヤきながら手を頭の後ろに回すと、睦月がくすくすと笑み零した。


「ん? なにか変なこと言ったか、オレ」


「いえ、そんなことは……ただ」


「ただ?」


「正人君が私と同じことを考えていたのが、なんだか嬉しかったので」


 その言葉に、また正人の顔が熱くなる。同じことを考えていたというだけの理由でここまで嬉しそうな顔を見せられたのが、なんだか気恥ずかしかったのだ。


 だが、正人が恥じらいを覚えているのに気づく様子もなく、睦月は言葉を続けた。


「……なんだか、ちょっとだけ寂しいですね。大樹君がいないって」


「当たり前だろ。三人でいるのが当たり前になってたんだからさ」


「そう……ですね。考えてみれば、正人君とこうして二人きりになったことは、確かにあまりないような気もしますし」


 学校の昼休みや通学の途中に二人きりになったことはある。


 だが、こうして、周りに誰もいない状況で二人きり……というのは付き合い始めてからまだ経験したことがなかったことに正人は気づいた。


 同じタイミングで、睦月もそのことに思い至ったのだろう。自分で口にした言葉で、「ぼっ」と顔を赤らめていた。


 そんな己の恋人の表情が反則的なまでに可愛らしく見えてしまって、正人は正人でドギマギとした感情を抱く。なんだかそわそわとしてきてしまって、落ち着きなく両手を動かし始めた。


「い、いやあ、しかし……デートっつったって、今オレ汗臭いし、服だってジャージだし、その……こ、上月はそんな男とだなんて、やっぱ抵抗あるよなあ?」


 上ずる声で、そんな言葉を口にしてしまう。


 言った端から、「そうですね、抵抗ありまくりです」とか言われたらどうしたものかと後悔し始めるが、そんな正人の心配とは裏腹にやや俯きがちに睦月は首を横に振った。


「い、いえっ、そんなことはないですっ」


「そ、そうか……いや、しかしだな」


「それを言うなら、わ、私の方だってその……うぅ、こんなことならちゃんと化粧をしてくれば、って」


「化粧なんかしなくても、上月は綺麗で可愛いだろ?」


「それに服だって、こんな色気のない恰好で……も、もしかして私、彼女というものが向いてないのではないでしょうか!?」


「待て待て待ってくれ! その言葉はオレに刺さる! 砂埃まみれのジャージでデートの方が、その、ありえないだろう!?」


「でもジャージ、お似合いですよ? なんだか私、正人君はジャージ姿でいるのが一番かっこいい気がします」


「それは……いや、喜んでいいのか、それ? っていうか上月こそ、いつでもどんな服でも似合ってる」


「は、はあ……」


「というか上月がとても魅力的だからだな、これは。どんな服着た上月でもオレは好きだ」


「~~~~~っ、そ、そういう言い方は卑怯じゃないでしょうかっ」


 もはやお互い、完全に照れに照れ合って褒め倒し合うことしかできなくなっている。途中でこれはきりがないのでは、と二人して気づき、視線を絡めて苦笑を交わした。


「なんだか、ぎこちないな、オレたち」


「そうですね。でも、付き合い立てなんて、こんなようなものの気もします」


「そうか?」


「はい。だ、だってその……私たちは恋人同士に、なったんですから」


「……それもそうだな」


「今までの関係ではなくなったわけですから、だから、その……当然かと」


「確かにな……」


 そんな言い方をされてしまうと、どう接したらいいのか途端に分からなくなってしまう。


 だがその一方で、胸に甘いような喜びが湧き上がってくるのを、正人は感じるのであった。


「恋人同士なら、さ。ほら。なんていうかさ」


「は、はい……」


「デートも、まあ……普通にするもんなのかな、やっぱ?」


「周りの女の子たちの話を聞いてると、ええ、はい、そういうものかと、ええ」


「そういうものですか」


「曰く、『彼氏と一週間以上デートできないと死ぬ』と仰っている子もいらっしゃいました」


「上月に死なれたら、困るな」


「じゃあ、その……どうしますか?」


 おずおずとそう口にする睦月に、正人はこれ以上ないぐらいに真っ赤になった顔で。


 だけどそれでも、その目は真っ直ぐに睦月に向けて、言った。


「じ、じゃあ、デートを、するというのは……どうだ?」


 その言葉に睦月の顔は、美人が台無しになりそうなぐらいにへにゃりと崩れて。


「は、はひっ」


 と、夕日ではない赤色で、必死に首を縦に振るのであった。


「それじゃあ、その……」


 そんな睦月に向かって、正人がそっと手を差し出す。野球で鍛え上げられたせいか、手のひらの皮は固く、ごつごつしている。


 その正人の、いかにも男臭い手に、睦月の白く柔らかな指先が触れ……やがてそっと指と指を絡めあうようにして二人は手を繋ぐ。


 もはや、恥ずかしすぎて目を合わせることすらできない。手は繋いだまま、しかし互いに顔は反対方向を向け合った状態で、河川敷の道をゆっくりと二人で歩き出す。


 二人の間に交わされる言葉数は、決して多いものではない。しかし重ね合わせた手のひらで温もりを交換するのは、なんだか胸を甘噛みされているようで悪くない。少なくとも、とんでもなく居心地がいいことだけは間違いなかった。


「オレ、女の子と手を繋ぐのがこんなに気持ちいいなんて思いもしなかった」


「~~~~そ、そういうことをあえて口にしてしまいますか!?」


「だ、だってそう思ったんだもんよ……でも、だからこそ大樹には感謝だな」


「……ええ、そうですね」


「オレ、上月と付き合えたことで舞い上がってて、デートのことなんて全然考えてなかったから」


「そんなの、私もですよ。正人君と付き合えただけで満足してて、そこから先のことを考える余裕なんてありませんでした」


「なんだ。良かった」


「なにがですか?」


「余裕がないの、オレだけじゃなくて」


「私も、舞い上がってたなんて言ってもらえて嬉しいですよ?」


「はは。そうか。……似たもの同士だな、オレたち」


 正人のそんな言葉に、睦月は幸せそうにはにかんだ。だけど、反対側をまだ向いたままの正人は、睦月の浮かべた表情には気づかない。


 だけどはにかむと共に、繋いだ小さな手に少し力がこもったことには気づいた。だから正人は、強く、だけど優しくそっと、柔らかな温もりを握り返す。


「そうだな……今度、大樹と三人で飯でも食いに行こうか」


「似たもの同士ですね、私たち」


「ん?」


「ちょうど、同じこと考えてたので」


 照れた様子の睦月の声に、正人は目元で柔らかく笑う。


 だけどやっぱり、そんな正人の表情に睦月は気づかない。それでも幸せな温もりが、二人の気持ちをそっと繋いでいるのだった。

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