第5話 ポッキーは、青春の味

「なんだ。樹里かよ」


「え、そういう言い方します? なんかすごいカンジ悪いんですけど」


 振り返りながらそう言うと、樹里は俺の言葉に唇を尖らせた。


 だけど、唇を尖らせたといっても、本気で不満そうな感じではない。媚びて作ったアヒル口。どういう表情をすれば自分が人から可愛く見られるか、よく分かっている女の表情だ


「相変わらずあざといなー、お前は」


「えー、なんのことですかぁー? あたしわかんなーい♪」


 わざとらしく作った声ですっとぼけるその様は、どう考えても分かってる。俺の知る限り、ぶりっこ然とした口調や表情が最も似合うのが、この樹里という女である。


 うちの学園で清楚系代表女子といえば間違いなく睦月ということになるが、ギャル系代表の女子で真っ先に名前が挙がるのは多分樹里だ。


 正統派のスポーツ少年といった趣の強い正人の妹とは思えない。かなり明るめに染めた髪に、指先はきらきらとネイルなんぞで着飾っている。耳には堂々とピアスを開けていて、着崩したブレザーはボタンを留めずに前が開けている。学校指定のワイシャツは第二ボタンまで開かれているせいでデコルテラインがちらちら見え隠れしていた。


 もともとの目鼻立ちが整っているので、メイクはそれほど濃くはない。だけど、もともと派手な顔をさらにド派手に飾り立てるようにしているのは、男の俺でも十分に分かった。


 言葉を飾らずに言うならば、いかにもギャルっぽく――そして、ビッチっぽい風貌だ。遊んでいるという噂もちらほら校内では耳にする。真偽のほどは定かではないが、まあ正人の言葉を信じるならば、七時というやや早めな門限を毎日律義に守ってはいるようだ、意外なことに。


「それでそれでぇ、あたしの超イケメンでスポーツマンで人気者な兄貴のぉ、チビで根暗で口の悪い幼馴染なお友達をやってる先輩がぁ、こんなところで一人寂しくなにしてるんですかぁ? キャハッ、もしかしてぼっち飯ぃ?」


「お前それわざとやってんだろそうなんだろ」


「わざとってなんのことかなー? 樹里ちゃん、そういうのよくわかんなぁーい」


 とか言いながら手に持っていた箱からポッキーを一本取り出し、パクリと樹里が咥える。「おいち」とか言いながら、少し顎を引きながらこちらに向けるは上目遣い。


 ここまで挑発的にかわい子ぶってこられると、相手する気もなんだか失せる。「はぁ」とため息を一つ零して、俺は石畳になっている地面に腰を下ろして弁当の包みを開いた。


 するとそんな俺を見て、「ちぇ、つまんないのー」とか言いながら樹里がすぐ傍にまでやってくる。


「せぇーんぱい☆ ハンカチちょーだい♪」


「そのウザい口調をやめろ。あとハンカチは持ってない」


「なら、上着でもいーよ?」


 四月なので、服装はまだ冬服だ。なんのつもりかと眉をひそめる俺だが、おとなしくブレザーを脱いで樹里に「ほらよ」と手渡してやる。


 樹里は俺の上着を地面に広げると、


「これでよし」


 と言ってその上に腰を下ろした。


「おい、樹里」


「なにー?」


「そのデカいケツを今すぐ上げろ。俺の上着をピクニックのシート代わりにするんじゃない」


「アハハ、自意識過剰すぎない? そこまで上等なもんでもないでしょ、先輩の上着とか」


「追加でディスってくるのもやめなさい。お兄ちゃん、樹里をそういう子に育てた覚えはありませんよ?」


「そもそも兄貴じゃないし。育てられた覚えもないし。てか中学に上がった辺りから微妙に絡みも減ってるし?」


「あのなあ」


「兄貴と先輩が、あの純情ぶった天使ちゃんに浮気してから、放置されてた系ですし?」


「……物には言い方ってもんがあるだろ」


「わはは、黙り込んだ黙り込んだー!」


 笑いながら樹里がポッキーをかじる。


 それを横目に、俺はなんとも微妙な心持ちでアユ姉の作った弁当を口に運んだ。


「んでさぁ。実際のところマジでどしたん? いつもチビ先輩は兄貴と飯食ってんじゃん」


「チビゆーな」


「チビじゃん。惜しいねー、あと十センチは欲しかったねー」


 ムカつく話だが、俺は確かに男子としては身長が低い。中学の時に、百六十五センチで止まった。一方で正人の身長は百八十五センチ。二十センチもの身長差。


 中一から中二にかけて、ぐんぐん身長で引き離されたのが最たる要因だろうか。背が伸びなかったのを理由に、俺は高校では野球をやめた。中学ではずっと正人の女房役をやっていたけど、俺の体格では正人に全力で投げさせてやることができなかった。


 それが、今も心苦しい。甘いはずの厚焼き玉子を、不意にとても苦く感じる。


 すまんな、正人――と罪悪感が顔を出す。甲子園には、お前一人で行ってくれ、と。


「キャハハッ、そんな顔すんなってー。冗談じゃんか怒んないで? ね? ね?」


「樹里、テメェ自分から言っといてほんっとなんつーか調子いいっつーか……」


「まあまあ。大半の女子よりか背ぇ高いしまあいいんじゃないっすか? ってことで!」


 ケラケラ笑いながらそう言われると、怒ったり悲しんだりするのもなんだかバカバカしく感じられた。まあいっか、樹里だし、という気持ちになる。


「んでさぁ。聞いたことにまだ答えてもらってないんですけどぉ先輩」


「先に煽ったのはどっちだっつーの。あの野球バカなら、出来立ての彼女と仲良く飯だとさ。ケッ」


「お節介で素直じゃない幼馴染が、そう仕向けてたみたいですけどぉ?」


「……見てたなら聞くんじゃねえよ、いちいち」


「それ、いつもわざわざ憎まれ口を叩く口で言っちゃう?」


「煽り性能完備のやつに憎まれ口を叩かない理由があるとでも?」


「ああん?」


「おおん?」


 そう言いあいながら互いにガンを飛ばしていると、不意に「ぷーくすくすっ」と樹里が声を上げて笑い始めた。


「なに笑ってんだよ」


「いやあ、だってほら。もそっと先輩落ち込んでっかなーこりゃ可愛い後輩のあたしが慰めてやんなきゃなーって思ってたけど、意外と元気なもんだから、ほら、あれ」


「あれって?」


「つまんねーもっと凹んでろよ、って思ってなんかウケた」


「よーし任せろ今からお前をいじめてやる」


「キャーッ、こっわぁーい! 警察さーん! 変態さんがここにいまーす!」


 なんて悲鳴を上げる樹里の声は、しかしまったく怖がってない。


 下らねえ、と思いながら俺は弁当に向き直る。今日一日で悲鳴なら何度も耳にした。悲鳴といっても、おおむね黄色いものだったが……。


 飯を食う俺の横で、樹里もそれっきりなにを言うでもなく、スカートの癖にだらしなくあぐらをかいて隣に座っていた。静かなこいつは薄気味悪いが、それなりに気心も知れた相手だから居心地は案外悪くない。


「強がりなあなたがそれでも いつかはちゃんと報われますように♪」


 などと樹里が不意に歌い始めたのは、俺が弁当をすべて腹に収めたちょうどその時だった。


「本当に言いたいことほど言えなくて

 歯を食いしばっては 下唇を噛んで

 口にしたら形になってしまう感情が怖いのなら

 私は知らないふりをしておくね

 あなたのその無理して笑った顔がすごくかっこいいことを♪」


 どっかで聞いたことのある歌詞。軽音部でボーカルをやってる樹里の、綺麗な声で紡がれるそれは、思わずハッとさせられる響きに溢れている。


 一通りフレーズを口にしたところで、樹里はにへらぁと緩んだ笑みをこちらに向けてきた。


「ま、先輩はかっこよくないですけどぉ?」


「余計なお世話だっつの。……しかしamaneか。なんか、なっけぇな」


「なっけぇよねー。あたし、今でも好きだな、amane」


 俺らが中学ん時ぐらいだったか。一瞬売れて、だけどすぐに消えてった、当時中学生だったシンガーソングライター・amane。


 彼女が今何をしているかどうかは分からない。分からない、が。


「やっぱいい声してるよなー、お前」


「アハッ、嬉しいこと言ってくれるじゃん! あ、そだそだポッキーいる?」


「いる」


「じゃあ……っと」


 おもむろにポッキーを口に咥えると、樹里がこちらに「んっ」と言って突き出してくる。


 それを無視して、俺は箱から一本ポッキーをつまみ出して自分の口に放り込んだ。


「うわ、ノリわるぅー。あーあ、先輩、人生で最初で最後のキスのチャンスを逃しちゃったねー」


「断言すんなよ。まだチャンスはあるだろ、多分」


「ま、夢を見るのは人間に残された権利の一つですけどもー」


「なんじゃいそら」


「ところで先輩」


「んあ?」


「ポッキーって青春っぽい味すると思わない?」


「青春なあ」


 もそもそとチョコレートでコーティングされた棒をかじりながら、呟き返す。


「こんなに、甘いもんかねえ。青春」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

*今回、石田灯葉先生の、『宅録ぼっちのおれがあの天才美少女のゴーストライターになるなんて。』という小説の作中曲から歌詞を引用させていただきました。石田先生に無限の感謝を。

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