第41話『田中教頭の娘』


乙女と栞と小姫山・41

『田中教頭の娘』          







 田中教頭は、イタズラを見つかった小学生のようにうろたえた。


「アッチャー!」



 乙女先生は、教頭のあわてぶりを、親しみをこめた感嘆詞で現した。

「先生、スーツが汚れます!」

 美玲は、ポケットからティッシュを取り出すと、取り落としたアイスで汚れた教頭のズボンを拭き始めた。

「いや、いいよいいよ。クリーニングに出すから」

「せやけど、直ぐに、ちょっとだけ拭いとくだけで、ちゃいますよ」

 美玲は公園の水飲み場に飛んで行き、ハンカチを濡らして固く絞ると、もっとも被害の大きかった右の膝を丹念に、ポンポンと叩きだした。

「ミレちゃん、なかなかのダンドリの良さやな」

「はい、母に……あの、習ってましたから」

「せっかくやから、教頭先生、三人でアイス食べなおしましょ」

 乙女先生も、これまた見事な早業で、地面に落ちたコーンとアイスをティッシュで拾い上げると、ついでのように、傍らのゴミ箱にシュート。そのストライクを見届けもせず、バイトのニイチャンにアイス三つをオーダー。

「ミレちゃん、一人で持てへんさかい、てっとうて」

「はい」

 まだ二日目の親子とは思えない連携と、仲の良さで、アイスを三つ手に持った。

「教頭先生、こっちの方が景色よろしいよ」

 そう言って、乙女先生は、教頭を西の丸庭園が望める石垣の上に誘った。


 ここなら、教頭の涙を人に見られることはない……。


「あ、目にゴミが……」

 実に分かり易いゴマカシ方で、教頭は、目の涙を拭いた。

「出張のお帰りですか?」 

「はあ、昼食を兼ねまして……いや、食欲がなくて、こんなもので……いや、どうも、ごちそうさまです」

「アハハ、急に声かけてしまいましたよってに」

 最初の一口で、豪快にアイスを吸引した。

「佐藤先生のお嬢さんですか?」

「はい、成り立ての若葉マークですけどもね。美玲といいます。今度、森ノ宮女学院に転入させよと思いまして」

「この時期に?」

「アハ、いずれ分かるこっちゃから言うときます。この子は、うちの亭主の子ですけど、わたしの血は入ってません。そやけど水は血より濃いと言いますよって。もう三日も、うちの水飲んでるから、うちの娘です」

 ぽっと上気した美玲の顔を横目で確認し、教頭の涙の核心をついた。

「教頭先生にも、お嬢さんがいてはったんですよね……」

「……美玲ちゃんと、同じ年頃でした」


 乙女先生は、着任式での教頭の、あまりの暗さにピンと来るものがあって、十数年前の事件を思い出し、仕事仲間のネットワークで調べておいた。最初は、相手の弱みを掴んでおくつもりだったのだが、調べて同情した。教頭が校長になれない最大の原因は酒癖の悪さだった。




 ただ、それには背景があったのだ。


――思た通りや……。




 乙女先生はため息をついた。


 教頭先生の奥さんとお嬢さんは、十数年前の交通事故で亡くなっていた。ちょうど三学期の終わりごろで、まだ平の教師で、新一年の学年主任に決まっていた田中教頭は、宿泊学習の準備と入学式の国旗掲揚でこじれていた職員間の人間関係の調整やら、遅れ気味の仕事の準備に忙殺されていた。

 そこで休日、田中の妻は娘を車に乗せてドライブに出て事故を起こし、親子揃って帰らぬ人になった。

「親父とお袋に、新しい中学の制服姿を見せにいくんだって、そりゃあ、嬉しそうでした。事故を起こしたときは、まだ入学前の制服を着ていたんで、その中学の先生方も病院に来られましてね……入学前に制服なんで、わたしはお詫びしましたが、『いや、こんなにうちの学校を愛して頂いて、嬉しく、そして残念でなりません』そうおっしゃってくださいました。だから、今でも、こんなつまらないものを持ち歩いてます」

 教頭は、定期入れの中から四つ折りにしたそれを出した。


『合格通知書 田中留美 森ノ宮女学院中等部』……とあった。


「入学式じゃ、ちゃんと『田中留美』って呼んでくださいましてね……佐藤先生、美玲ちゃんの制服姿の写真ができたら、一枚いただけませんか。親ばかと言われるでしょうが、なんとなくの佇まいが、留美と似ているんですよ」

「はい、必ず」

 正直、仕事ぶりからバカにしていた教頭だったが、見なおす思いがした。

「じゃ、そろそろ学校に戻ります。どうぞ、良い連休を」


 淡いつつじの香りの中、教頭は片手をあげて、学校に戻っていった……。




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