第40話『森ノ宮女学院』
乙女と栞と小姫山・40
『森ノ宮女学院』
桑田先生は臨時の入室許可書を作ることにした。
理由は一つ、いや二つ、乙女先生が今日も休みなのである。
乙女先生が、転勤してから、物の置き場所が変わった。それまで雑然としていた生活指導室を、徹底的にきれいにし、物品の置き場所を合理的にしたのだ。
むろん乙女先生は、それについて説明もしたし資料も配った。しかし、みんなろくに話を聞いていない。それに、遅刻者に対する入室許可書は常駐の乙女先生が一人でこなしていた。で、携帯でありかをを聞くのも業腹で、首席という沽券にもかかわる(と、自分では思っている)ので、自分で作ることにした。
もう一つの理由は、学校全体の緩みであった。
栞の『進行妨害受難事件』以来、生徒は学校を不信……とまでは言わないが、軽く見るようになった。で、遅刻者が日に十人を超えるようになり、今朝は連休の狭間ということもあり、九時の段階で二十人を超えた。で、遅刻者を外で待たせ、パソコンで制作したのである。やはり、一日校外清掃のパフォーマンスをやったぐらいでは、一時学校の評判は取り戻せても、基本的な解決にはならない。
そのころ、乙女さんは美玲を連れて私立森ノ宮女学院の学校見学にきていた。
身分は公務員としか明かしていない。乙女さんの目は、まず学校の外構に注がれる。外周の道路や、校舎の裏側の汚れよう……おそらく業者を入れて定期的な掃除をやっているのだろう、完ぺきであった。教室の窓の下。公立では黒板消しクリーナーの整備に手が回らず、掃除当番の生徒達は、窓の下の壁に叩きつけて、黒板消しをきれいにする。そこまでを学校に入るまでにチェック。そして学校に入る前に、娘である美玲のチェック。今日は近江八幡で通っていた公立中学の制服を着ているが、夕べ長すぎる上着の丈と、袖の長さを補正してやり、靴下は純白、靴はローファーの新品。髪は夕べ風呂でトリートメントし、今朝は入念にブラッシング、完ぺきに左右対称のお下げにし、前髪は眉毛のところで切りそろえてやった。
「よし!」
門衛のオジサンに来意を伝えると、あらかじめ連絡してあったので、教務の先生が出迎えに来てくれた。
「学校は、いま授業中やから、美玲、くれぐれも静かにね」
相手の教師が言う前に、娘にかました。
「はい」と美玲も、言われたとおり手を前に組んで応えた。
廊下、階段などを鋭くチェック。彼方に見える校舎で行われている授業は気配で感じた。授業の良い意味での緊張感あり、こっそり窓の隙間からこちらを伺っているような生徒はいなかった。
ちょうど休み時間が被るように廊下で立ち話をし、休憩中の生徒や先生も観察した。授業が終わった開放感はあるが、それぞれの教室では次の授業に向けて移動や準備をする子が多く、あまり無駄話の声が聞こえない。
「申し訳ありません、応接室が塞がっているもので、職員室の応接コーナーで……」
乙女さんはラッキーと思った。教師の日常がうかがえる。
――住みにくそう――
乙女さんは、教師の直感で、そう思った。
教師の机の上にほとんど物が置いていないのである。これは個人情報の管理や、風通しのいい職員関係とかいうお題目の下でよくあるパターンである。空席の机上のパソコンもフタが閉じられ、節電という名目で、情報管理には、かなりうるさい学校と見た。
「で、本校に転入をご希望ですとか……?」
敵は、いきなり核心をついてきた。
「書類を出せば、分かってしまうことなので、あらかじめ申し上げさせていただきます」
「はい」
「事情がございまして、この子は近江八幡の親類に預けておりましたが、預けました親類宅で不祝儀なことが起こり、十分にこの子の面倒を見て頂けなくなりました。私どもも、この春の移動後、案外余裕が持てることが分かりましたので、急遽この子を引き戻すことにいたした次第です」
「失礼ですが、その点、今少しお話いただければ……」
「もうお気づきとは思いますが、わたし先生と同職です」
「あ、学校の先生でいらっしゃいますの?」
「はい、この三月まで、わたしは朝日高校、主人は伝保山高校におりました」
「え、朝日と、伝保山!」
この学校名には効き目があった。両校とも府立高校の中では困難校の横綱である。
「で、今は、わたしが小姫山青春高校。主人が堂島高校ですので、いえ、わたしたち、正直教師生活、定年までドサ周りやと思てましたよって、ガハハハ」
「は、はあ」
「いや、賑やかな声で失礼しました」
あとは転入試験にさえ受かってしまえば問題なし。今は学校に提出する書類で、ややこしい人間関係や、家族問題が分かるようなものは無い。相手が考える前に栞の父が揃えてくれた書類をテーブルに揃えた。
「ほんなら、そちらさんの書類を」
相手は、慌てて転入学に必要な書類を持ってきた。乙女さんは慣れた手つきで、五分ほどで書き上げた。
「ほんなら、転入試験は、連休明けということで、ご連絡お待ちしております」
有無を言わさず決めてしまい、学校を後にした。
「わたし、何も言うとこなかったですね」
「せやな、あんだけ練習したのにな。時間早いよって大阪城でも寄っていこか。ここのアイスはうまいねん」
そう言って、森ノ宮口から大阪城公園に入ると、ベンチに見慣れたオッサンがたそがれていた。
「教頭先生……」
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