第4話『学校のご近所づきあい』 


乙女と栞と乙女と栞と小姫山・4

『学校のご近所づきあい』             







「申し訳ありません、すぐになんとかいたします」


 乙女先生は、集まっていた近所の住人にまず頭を下げた。


「早よ来てくれはったんはええけど、そんなノコギリやったら、間にあわへんよ」

 近所のボスらしきオバチャンが、下げた頭を押さえ込むように言った。

「でも、とにかく、なんとかします」

 真美ちゃんがノコギリをひき始めた。オバチャンたちの失笑。乙女先生は真美ちゃんを目で制止して、すぐに携帯をかけた。学校の事務に技術員室につないでくれるように頼んだ……待つこと数十秒。


――誰も出はりません。


 主査の答えに、乙女先生は事態を簡潔に説明した。

「そんなら、教頭さんと相談しますわ」

 気のない主査の答え。凡才教頭の暗い顔が浮かんだ。

「女の先生二人じゃ無理でしょ。消防署に電話しますわ」

 学校の対応の悪さに業を煮やしたボスが携帯を出した。

「ちょっと待ってください。なんとかしますから」

 そう言うと、乙女先生は空手の構えになった。

「ちょ、ちょっと先生……」

 ご近所さんたちが一斉に身を引いた。乙女先生は空手三段ではある。

 が、久しく使っていない。


――岸和田でダンジリ引き回してんねんや。これくらいのもん……。


 と、思いつつもこめかみから汗が伝い落ちた。


 キエーーーーーーーーーーーッ!!


 バキッ


 横綱の太ももほどの幹が二つに割れた。

「ヒエー……」

 アウェーな観衆から、驚きの声が上がった。乙女先生の汗は脂汗になった。

 桜の幹は二つになっただけだが、自分の右手の骨はバラバラになった気がした……。


「先生、あとは任せてください!」

 技師の立川さんが、リヤカーにチェ-ンソーを乗せてやってきた。

「やあ、青春高校にしては対応ええね」

「ええ気合いやったわ」

「モモレンジャーみたいやった!」

 ご近所が姦しくなってきた。

「先生ら、あんまり見かけへん顔やけど、転勤してきた人ら?」

 ボスがトドメの質問。

「あ、はい。今日赴任してきました。わたしが天野真美、こちらが佐藤乙女先生。で、こちらが技師の立川談吾さんです」

 真美ちゃんが元気に答えた。立川さんは手際よく、桜の幹を解体していった。

 乙女先生は小枝を拾うふりをして、石垣の下の側溝を流れる水で手を冷やした。ご近所さんたちも好感をもって手伝ってくれだしたので、痛みを気取られることはなかった。


「いやあ、お世話になりました」


 校長は自ら紅茶を入れながら、乙女先生をねぎらった。真美ちゃんは新任研修。立川さんは「職務上、当然のことですから」と、この場にはいない。乙女先生も好きこのんでブリトラにつき合う気は無かったが、こう見えても職場の人間関係には気を遣うほうなのだ。


 校長は本格的に紅茶を入れている。ティーポットに三杯の紅茶の葉を入れた。


「ワン、フォー、ユー。ワン、フォー、ミィー。アンド、ワン、フォー、ザポットですね」

「ほう、お詳しい。さっきの桜の件といい、かなり学校経営に良い勘をなさっておられる」

「年相応の程度です」

「こんな言い方をしてはいけないんでしょうが、佐藤先生はお歳より、ずっと若く見えますね」

「わたし、若い頃から老けて見られたんです。二十歳で三十くらいに見られて、で、ずっとそのまんま。どこか抜けてるんでしょうね」

「いやいや、うちの家内なんか子どもを生んだとたんに大変身でしたよ」

「女って、そういうもんです。大変身は勲章ですよ」

「佐藤先生は?」

「亭主はいますが、子どもは……個人情報ってことで」

「ああ、これは申し訳ない」

 乙女先生は、亭主の娘である茜のことが頭をよぎった。しかし仕事中なので、すぐに頭を切り換えた。

「この学校は、人間関係がむつかしい……」

「そのようですね」

「わたしは、いわゆる民間校長です。元は銀行に勤めていましたが、思うところがあって応募したんです。さ、どうぞ」

「ダージリンですね……」

 乙女先生は、香りを楽しんだ後、用意されたミルクも砂糖も入れずに口に含んだ。

「ストレートでいかれるとは、紅茶にも通じておられるようだ」

「学生のころ紅茶屋さんでバイトしてたんで、ほんの入り口だけですけど」

「この学校も、やっと入り口です。統廃合から四年目、そろそろ中味を変えませんとね」

「総合選択制では、むつかしいですね」

「ま、鋭意努力中です。今年から、文理特推の教科を増やしました。良い結果が出ると確信しています。あとは……」


「校内のチームワーク、ヒュマンリレーションの問題ですね」


「いかにも。佐藤先生は、そのへんの平衡感覚も良いとお見受けいたしました」

「買いかぶりですよ。以前おった学校ではいろいろ……やらかしてきましたから」

「だいたいのところは承知しております。で、前任校の校長さんに無理を言って来て頂いたんです」

「あとは、ご近所との関係ですね。あまり良くないことは桜の一件でも、よう分かりましたから」

「地区の交流には、気を付けてはいるんですがね。先生方のご協力が、もう少し頂ければ」

「先生、この地区の一番の神社は、どこですか?」

「神社?」


 というわけで、乙女先生はこの地の鎮守伊邪那美(イザナミ)神社の鳥居の前に立っている。


 桜事件から三日がたっていた。


 乙女先生は岸和田の出身。だんじりで有名な岸城神社が、地元の要であることをよく分かっている。青春高校のある地区は旧集落と、新興住宅地に分かれているが、全体への影響力という点では旧集落の地区との繋がりが第一。

 で、その要である伊邪那美神社に御神酒(おみき)と玉串料を持ってやってきたのである。

 地元の人たちの心を掴むため、ほんの第一歩であるつもりであった。

 しかし、乙女先生は、ここで本物の神さまに出会うことになる……とは、夢にも思わなかった。



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