第3話『桜の枝』


乙女と栞と乙女と栞と小姫山・3  

『桜の枝』     

      






 職会のあと、社会科の教官室に行った。主任の前田から六人の同僚を紹介された。


――まあ、この人達となら、なんとか波風立てずにやっていけそう。


 乙女先生は少し安心した。次に受け持ちの教科のほうが気になった。


「日本史A」これはいい。しかし、「映画から見た世界都市」には驚いた。この希望ヶ丘青春高校は総合学科の学校であるので、社会科以外の教科も覚悟はしてきたが「映画から見た世界都市」 これはまるで、映画か観光の専門学校の科目である。新転任者に教科を選ぶ権限などない。取りあえずはアテガイブチと納得。


 職員室は管理職のお達しであろう、みんなの机の上は、昔の学校のように雑然とはしておらず。パソコンと小さな本立てのようなものがあるだけで、民間会社のオフィスを思わせたが、教官室は……地震のあとをとりあえず片づけました。と言う感じ。


 各自の机の上は、カラーボックスや本立てが二階建てや三階建てに。それだけで机の上1/3は占められ、残った2/3の半分も、うず高く、書類やプリントの山になっている。まあ、社会科の教師の机とはこんなものであるが、ここの乱雑さには、すさんだものを感じた。すさみようは六人の教師で微妙な差があるが、互いに干渉しないでおこうという、社会科独特の相互不干渉主義が生きているようで、取りあえず安心。


 社会科というのは、数ある教科の中で、最も個人の政治・社会に対する主観が出やすく、教授内容の統一などはとても出来るものではない。


 で、たいていの学校で社会(地歴公民などという長ったらしい名前は、現場では、まず使わない。会議などで教科予算などの利害が絡むときは別)の教師は個人商店のようなものである。乙女先生といっしょに日本史Aを担当する東野も、「よろしく」とだけしか言わなかった。

「じゃ、わたし、一年の生指主担やりますんで、ホームベースは生指の部屋に置きますので」

「でしょうね、あとで、教科の歓送迎会の日取りの打ち合わせだけ確認させていただきます」

 主任の前田の声を、聞いたとき、各分掌の会議が始まる放送が入った。


――ああ、このせいか……。


 乙女先生は、生指の部屋に入ったとたんに理解した。

 生指部員のだれもが、部長の梅田と微妙な距離をとって座っている。

 どうやら梅田は、部長として浮いている様子である。十二人の部員が揃って、学年当初の生指のスケジュ-ルを確認している間も、だれも梅田の顔を見ようとはしない。血の巡りのいい生指なら、学年の主担同士の情報交換や、最低でも挨拶があってしかるべきなのだが、それも「職会でやりましたから」の梅田の一言で省略された。連休前までのスケジュ-ルが確認されたところで、生指の電話が鳴った。


「はい、生活指導です」


 電話をとったのは、三年の生指主担の山本であった。


 あやうく電話で言い争いになるところであった。


「それは、生活指導の仕事ではありませんので、係りのものに繋ぎます」


 山本は、電話相手の話が終わるやいなや、そう答えた。応対の内容から、学校外部からのクレームであることはすぐに分かった。で、今の山本の一言で、相手の頭の線が切れたであろうことも、乙女先生には容易に想像できた。山本が、相手が再び喋り始めたとき、有無を言わせず内線電話を切り替えようとした。


「ちょっとかして」


 乙女先生は山本から受話器をふんだくった。

「はい、お電話代わりました。生活指導部の佐藤でございます……」

 相手は、すでに頭にきていた。生指に繋がるまで、いささか待たされ、そのあげくが山本の木で鼻を括ったような応対で線が切れたことは明らかであった。


 乙女先生は、丁重に電話の主に詫び、すぐに技術員室へ向かった。その背中を見送る生指部員の目は冷たかった。


「すんません。ノコギリと、ホウキと大きいゴミ袋三枚ほどお願いします」

「なんに使いはりまんねん?」

 技師のボスらしきオッサンがウロンゲに乙女先生に聞いた。乙女先生は簡単に事情を説明して、必要なものを受け取った。

――最初は、このオッサンのとこに電話があったはずやろ。と、思った。しかし転勤初日。イザコザは避けようと思った。

 玄関まで行くと、真美ちゃんが所在なげに立っていた。

「乙女先生、何か仕事ですか?」

「ちょっとね」

「わたしも、いっしょに行きます。新任指導は午後からなんで、ヒマなんです」

「いいわよ」

 乙女先生のにこやかな返事は、真美ちゃんには逆の意味にとられたようで、正門に向かう乙女先生の後を、おニューのパンプスの足音が追いかけてきた。


 どうやら、道を逆に回ってしまったようだ。切り通しの石垣にぶつかって、回れ右をして再び正門前に戻り、学校の外周を時計回りにそって歩いた。東の角を曲がると、それがドデンと転がり、数名のオッサンとオバハンが待ちかまえていた。


 ドデンと転がっていたのは、学校の校庭から、折れて道に落ちた桜の枝だった。


 ただし、それは枝などというカワユゲなものではなく。幹と言ったほうがいいシロモノで。四メートルほどの生活道路を完全に塞いでいた。で、その桜の向こうで軽自動車が立ち往生していた。


 軽自動車のフロントグリルは、なんだか怒った小型犬のように見えた……。

 



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