第94話 キレる魔将軍
「いい加減にせぬか! この痴女が!!」
パンナコッタに姫抱きされ、突如として空中に現れたカルパチョが、飛び降りざまに怒りのコークスクリュードロップキックを放つ。
「そげふ!?」
顔面で蹴りを受けた魔王が、ものすごい角度で回転しながら吹き飛んでいった。
全裸で。
そして、べちゃっとカエルみたいな格好で壁にぶつかり、ずるずると崩れ落ちた。
フレイたちは目が点です。
一瞬の間になにが起きたのか、ちょっと判りませんでした。
「大丈夫かい。デイジー。酷いことをされなかったか?」
ふわりとベッドサイドに着地したパンナコッタが優しく語りかける。
「ボクは大丈夫だけど……パンナコッタの方が酷い汗だよ?」
「ちょっと魔力を使いすぎただけだから問題ないよ」
柔らかく微笑した。
『
しかもカルパチョと二人で跳躍という離れ業で。
大魔法使いのパンナコッタとはいえ、すこしばかり負担が大きかった。
「けど、良くここに魔王がいるって判ったな」
「デイジーとアクアパツァーの魔力反応が重なったでのう。これはいかんと思ってパンナコッタに跳んでもらったのじゃ」
フレイの問いにカルパチョが応える。
まさに間一髪であった。
なんとこの魔王、デイジーが本当に男なのかと興味を持ち、夜這いを仕掛けたのである。
高級娼婦に化けて。
まあ、魔王自身は両刀使いらしいから、男でも女でもぶっちゃけどっちでも良かったんだろうけど。
「まったく。とんでもないアバズレじゃ。とっとと起きぬか」
げしげしと義理の姪の尻を蹴飛ばすカルパチョだった。
「こ、これは違うんですって。叔母上。ちょっとした裸の付き合いっていうか。親睦を深めるっていうか」
がばっと起き上がったアクアパツァーが言い訳を始める。
「それで深まるのは両陣営の溝だけじゃ。このタワケが!」
カルパチョのこめかみあたりに、ぴくびくと青筋が立ってますよ。
そーとー切れてますね。魔将軍。
ちょっと怖すぎて、さすがのフレイも仲裁に入れない。
ていうか、魔王に同情の余地がなさすぎる。
なんだろう。頭おかしいのだろうか。このひと。
娼婦に化けて客人に夜這いする魔王なんて、見たことも聞いたこともないよ。
しかも愛ゆえにとかじゃなくて、ただの興味本位と性欲が動機とか。
びっくりです。
「まあまあ、カルパチョ。アクアパツァーも反省してるだろうから」
救いの手は、襲われていたデイジーから差し伸べられた。
ベッドからばっとシーツを剥がして魔王に歩み寄り、その身体にかけてやる。
「裸のままじゃ可哀想だよ」
「デイジー……」
優しさに触れ、アクアパツァーの目が潤む。
「こんなことしちゃダメだよ。アクアパツァー。びっくりしたんだから」
「うん……ごめんね……」
「ちゃんと段階を踏もうよ。ね?」
しゃがみこみ、目線を合わせて語りかける。
天使の微笑で。
魔王の頬が染まってゆく。
「だからさ。まずはお友達から始めよう」
差し伸べられた繊手。
「……ぅん」
アクアパツァーの手が握り返す。
ぼーっとその様子を見ていたフレイが、相方にぼそりと呟いた。
「恋に落ちる音がしたってやつですかのう。ミアさんや」
「うそりまつがきいメールト」
「うん。なに言ってるか判らないけど、きっとそれはエルフ語で言った方が良いと思う」
「つーか。デイジーって女も落としちゃうのね」
男だろうと女だろうと、敵だろうと味方だろうと関係なくデイジーの微笑に籠絡されてしまう。
むしろ魔王なんかよりずっと怖ろしいんじゃね?
こいつを先頭に立たせたら、世界征服くらいできそうじゃね?
少しの間、デイジーの手を握りしめていた魔王が、すっくと立ち上がった。
「パンナコッタ! それにガルとやら!」
『ははっ!』
なんだかよく判らないけど、君主に呼ばれたら跪いちゃうのは宮廷人や武芸者の本能みたいなもんだ。
「デイジー教の布教を許可する! 我が国の国教として全土に広く知らしめよ!」
『ははっ! 粉骨砕身して励みまする!!』
ぐっと頭を垂れる二人。
この瞬間、デイジー教が国によって認められたのである。
それは、大陸全土へとデイジーの魅力を伝える大いなる第一歩に、
「なるか!」
「この阿呆どもが!」
「いっぺん死んでこい!」
フレイ、カルパチョ、ミアによる、怒りの踵落とし三連弾が、ガル、アクアパツァー、パンナコッタの脳天にたたき落とされた。
「えっとですね。ボクってマリューシャー教の司祭なんですよ。みんな忘れてるかもだけど」
ちょー困った顔のデイジーだった。
さて、結論からいうなら、平和条約に関して帝国側はかなり前向きな考えを示した。
魔王アクアパツァーの方針としては殊更に人間の国に対して侵攻するつもりはない。
人間たちの作り出すアイテムや作物には興味があるものの、国土そのものには興味がないからだ。
大陸南西部に位置し、豊かな資源と温暖な気候を持つ帝国が、わざわざ雪の降る地方なんぞに進出する理由がないってのもある。
住む土地が足りないってならともかく、ぜんぜん余ってるからね。
これはまあ、人間たちの国だって同じだが。
ゆえに、友好条約が結べて、貿易とかがスタートできるなら願ったり叶ったりではある。
「結局、誰が条約締結の使者となるかで、昨夜は遅くまで揉めていたのじゃ」
カルパチョの説明である。
みんなアルダンテ王国に行きたがったから。
ちなみにカルパチョとパンナコッタは早々に候補から外れた。
ザブールの街で顔を晒して活動している以上、いまさら帝国の重臣だなんて名乗れない。住めなくなっちゃうもの。
使者となるのは、魔将軍と大魔法使い以外だ。
そしてみんな自分が行くと言って譲らず、一度は閉会となった。
明日また話し合おうってことでね。
で、一夜明けたら、アクアパツァーは自分が行くと言ってきかなくなった。
デイジーと一種に行きたいんだってさ。
アホか、バカか、って話なんだけど、専制君主の意志はすべての法の上に屹立する。
「魔王が決めた以上、臣下は従わざるをえんのじゃ」
やれやれと肩をすくめる魔将軍だった。
魔王アクアパツァーが自ら赴くということに関して、暗殺の危険とかを心配した者はいない。
ぶっちゃけ人間が軍隊を押し出してきたとしても、魔王一人で切り抜けられるだろうし。
「ま、国のトップ同士が直で話した方が早いじゃろうしな」
「もしかしてカルパチョ、だんだん面倒くさくなってきてる? 魔王のおもりが」
「よく判ったのう。ミアや。もう好きにせいってのが本心じゃよ」
「気持ちは判ります」
昨夜のアレをみてるからね。ミアも。
「それで朝からデイジーを呼び出して、演説の打ち合わせをしてるのか」
「そういうことじゃ」
フレイの問いにカルパチョが視線を向けた。
デイジーの護衛としてはガルとパンナコッタが張り付いている。
ヴェルシュは明け方にキスマークだらけで帰ってきて、またふらっと出かけてしまった。
帝都アーイ・スバインを満喫中の邪竜だ。
女が欲しいなら高級娼婦を呼んでもらえば良いだろうってカルパチョに呆れられていたけど、ガールハントすることに意義があるんだってさ。
職業として接しられても嬉しくないんだそうだ。
判ったような判らないような理屈だね。
ともあれ、魔王アクアパツァーが出発前におこなう演説に、デイジーの出番もある。
魔王の友人として、アルダンテ王国との友好の架け橋として、紹介されるのだそうだ。
なんだかあざとい話だが、政治の世界にはいかにもな人気取りも必要なのだろう。
デイジーはザブールで
「フレイだったら緊張で固まっちゃうそうだしね」
「否定できないのがくやしい」
からかうミアに、たいして悔しそうでもなくフレイが苦笑する。
その様子をじーっと見ていたカルパチョが口を開いた。
「そちら、昨夜なんぞあったのか?」
と。
さすがは紅の猛将。鋭いのである。
「ななななななんにもないよ!?」
ポンコツフレイが目を泳がせる。ダメダメだ。
「チューしようとしたところで夜這い騒ぎがあったのよ。惜しかったわ」
ミアが両手を広げてみせる。
「なんであっさり言っちゃうの!? そういうのは隠そうよ!」
そして地団駄ダンスを踊るフレイ。
「なにをやっておるのじゃ。そちらは」
しょーもないやりとりに、ふうと魔将軍が息を吐くのだった。
バカばっかりだ、と。
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