第92話 天使デイジー
話を聞くために投げ飛ばしたり、魔法をかけたり、喉元に毒刃を突きつけたり。なかなか頭おかしいことではあるが、こればかりは仕方がない。
まあまあ双方おちついて、とか話しかけて沈静化するように人たちだったら、つかみ合いになんか発展するわけがないからね。
こちらが圧倒的に強いんだよって刻みつけないと、仲裁もへったくれもありゃしないのだ。
「わたしの郷の里長なんか、「おちつけ。そなたら」の一言で全員を黙らせるからね」
「なにそれ怖い」
肩をすくめるミアである。
エルフの郷、やばいね。
ともあれ、下手から出る仲裁ができるのは平和な世界だけだ。
「……あの女に借金を踏み倒されたんだ……」
「そいつは穏やかじゃねえなぁ」
男の言葉に、ふむとフレイが頷く。
やはり女性の方が一方的な被害者ではなかったようだ。
最初から判っていたことである。
正義は我にありって思っていなければ、天下の往来で女性の腕を掴んだりはしないだろうからね。
だからこそ彼はミアに依頼して、女の方も逃がさないようにしてもらったのである。
「なんだか事情もありそうだな。道の真ん中で喋るってのもなんだし、そこの店にでも入ろうかい」
フレイが親指でさすのは、ありふれた飯屋だった。
微妙に嫌な顔をする店主に金を握らせ、大テーブルを借りたい旨を申し出る。
その上で買い物帳を渡し、全員でつまめる量の料理と軽い酒精を注文した。
「これは……」
目を丸くする主人。
王家の紋章が入った買い物帳だもの。驚くなって方が無理だよ。
この人間とエルフは、魔王の客だということだ。
フレイは唇に人差し指をあてて片目をつぶる。
「トラブルは起こさせないからさ。たのむぜ。親父さん」
「わ、わかりました」
かっくんかっくん
男たちは、ようするに金貸しである。
より正確には金貸しの用心棒だが、債権回収のために女に接触したわけだ。
で、返せないと言われた。
ならば約束通り身体で返してもらおうと、娼館へと連れて行く道すがら、突如として女が騒ぎ出した、というのがことの顛末である。
「ここに証文もある」
そう言って男がフレイに契約書をみせた。
さすがに手渡すような不用心な真似はしない。
「たしかに、期日までに返せないときには身売りすると書いてるな。けど、この期日って四十日も前じゃないか?」
「待ってたんだよ。明日には返しますとか、あと三日だけ待ってくださいとか、そういう感じでずるずると伸ばされて」
「それってお人好しすぎないか?」
フレイが首をかしげた。
お人好しのフレイにお人好しって言われるんだから、かなりのお人好しである。キングオブお人好しといっても良いくらいだ。
期日までに金を返せないようなやつが、数日待ったからといって金を作れるわけがない。
待つ意味が判らないし、そもそもこの手の強面を雇ってる金貸しである。
期日になったら、一瞬も待たずに女を娼館に沈めるって動きをするもんだと思うんだけど。
むしろそのために金を貸す感じ?
「嘘をつくような人じゃないからな。だからうちの親方も信じて待っていたんだ」
なんかすげー善人っぽい。
その金貸し。
でも、ついに堪忍袋の緒が切れて、娼館に売り飛ばしてやるって話になったのだという。
「どう考えてもこの女が悪いわね。切り刻んじゃう?」
ミアが物騒なことを言う。
切り刻んでも何も解決しないため、フレイはまあまあとたしなめた。
「なんでそこまで信用していたんだ?」
「聖職者だからだな」
あっさりと答えが返ったきた。
うん。
そりゃ信用するよね。
聖職者が借金を踏み倒すとか、普通は考えないよ。
「この街でマリューシャーの教会と孤児院をやってるんだ。そのキャラメリゼ
「おうふ……」
「面倒くさい話になってきたわね……」
神の名を聞き、げっそりと呟くフレイとミアであった。
とりあえず、借金の返済は数日だけ待ってもらえることになった。
ぶっちゃけ何の解決にもなってない。
命日を横にずらしただけだ。
だからこそ男たちも承諾してくれたのである。フレイたちの顔を立てて。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「いーからきりきり歩きなさいよ」
頭を下げる侍祭を促し、マリューシャー教会へと向かうフレイとミア。
眠りから醒めたら借金取りがいなくなっていたわけで、キャラメリゼとしてはなにがどうなっているのか判らないった状態なのだが、話は後からってことでまずは教会へ。
だって、まとめて話した方が面倒がなくて良いからね。
「あれ? フレイとミアじゃん」
「その方ら、どうしてここに?」
おんぼろ教会の前で、なにやら作業をしていた者たちが顔を上げた。
もちろんそれは、デイジーとガルである。
「ほらな」
「やっぱりいると思ったわ」
うむうむとフレイとミアが頷いた。
「あの……これはいったい……?」
侍祭キャラメリゼはぽかーんですよ。
置いてきぼりですもん。
時系列でいうと、キャラメリゼが連れ去られた直後にデイジーたちが教会を訪れたことになる。
責任者がおらず、比較的年長の子供が応対したわけだが、どうにも要領を得ない。
なんだかみんな泣いてるし、責任者がいつ帰ってくるかも判らないし。
よく判らないけど、とりあえず扉の修理でもしながら待とうかってことになり、ふたりでトンテンカンとやっていたところに、フレイたちがやってきた、と、そういう感じだ。
で、責任者である侍祭はどこにいたかっていうと、借金取りに連れて行かれ、やっぱり娼婦になるのは嫌だとごねていたところを、フレイとミアに助けられたという次第である。
「気持ちは判るけど、返すあてのないお金を借りるのはダメだよ」
「申し訳ありません。司祭様。ですが子供たちを食べさせていくため、どうしてもお布施だけでは足りず……」
事情を聴き、軽く注意するデイジーに、キャラメリゼがぺこぺこ頭を下げる。
デイジーってこれでも司祭だから。
「お金が足りないなら総本山に援助を求めるってのが常套手段なんだけど、ここじゃそれも難しいんだよねえ」
「はい……」
総本山のあるアルダンテ王国とは国交がないから。
というより、帝国はどの人間の国とも国交を結んでいない。お互いに相手を国とは認めてないからね。
当然のように総本山とやりとりだってできない。
手紙を隊商に頼むことくらいはできるだろうけど、物資が無事に届くかどうかはかなり未知数だ。
「こーなってくると、平和条約の締結が望まれるわけだね。是が非でも」
デイジーが微笑する。
もちろん、国交が結ばれたってすぐに支援の手が届くわけじゃない。
まず
それでは間に合わないのだ。
キャラメリゼは娼館に沈められ、子供たちは餓えて死んじゃうだろう。
支援が届くのは誰もいない廃墟に、なんてことになりかねない。
「なので、ボクが個人的に緊急支援をおこなうよー、マリューシャーの名においてー」
そう言ってデイジーがフレイを見る。
収納腕輪に入ってる個人資産を出してくれ、という意味だ。
軽く頷き、リーダーが正しい手順で宝玉に触れる。
傾きかけたテーブルの上に出現したのは、まばゆいばかり宝石の小山であった。
金貨や銀貨ではなく、かさばらない宝石に替えて保管しているのだ。
この旅に全額を持ってきているわけではないが。
その小山を、ぐっとキャラメリゼへと押しだすデイジー。
当の侍祭は目を白黒だ。
「金貨にして一万枚分くらいはあると思うよ」
「こんなに……」
「こんなにじゃないさ。教会を建て直して、子供たちにあったかくて清潔な服を着せてあげて、ちゃんと栄養のあるものを食べさせてあげて、ちゃんと読み書きを教えて手に職をつけてあげる。たぶんぎりぎりなんじゃないかな」
デイジーが笑う。
総本山からの支援が届くまで、どのくらいの時間が必要か判らないのだから、と。
慈愛に満ちた笑顔だ。
「天使さま!」
たまらずキャラメリゼが平伏する。
『デイジー天使さま! ありがとうございます!!』
別室に控えていた子供たちも押しかけ、一斉にデイジーの足元にすがりついた。
「がんばってね。必ず幸福はくるから。だって、ボクがそうだったんだからね」
一人ひとりの頭を撫でてゆく。
魔族たちの都アーイ・スバインに、デイジー教が根付いた瞬間であった。
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