第91話 世の中は肉だ
帝都アーイ・スバインの喧噪は、交易都市ザブールをはるかに凌駕するものだった。
生粋の魔族だけでなく、獣人族やダークエルフ族、果ては
値下げを叫ぶ商店を冷やかしつつ、そぞろ歩くふたり。
「ザブールにきたときは、この世にこんな都会があったんだって、えらく感動したもんだけどな。上には上があるもんだ」
「わたしも似たようなもんだったけどね」
フレイの言葉に、ミアが肩をすくめる。
寒村出身者とエルフの郷出身者だ。
どっちもものすげー田舎から都会へとやってきた。
夢と野望をその身に詰め込んで。
「せっかくだし、本場の魔族料理でも食ってみないか?」
「いいわね。ただし食べ過ぎないようにしないと。ホテルで食事も用意されてるだろうし」
「ああー、そっちも楽しみだなあ」
きっと本格的な魔族料理が供されるはず。
満腹で食べられない、なんてことになったら残念すぎる。
「まあ、おなかが膨れたら、腹ごなしの運動をすればいいのよ」
ちょいちょいと指をさして悪戯っぽく笑う。
連れ込み宿の看板を。
ぼふん、と、音がしそうな勢いでフレイの顔が真っ赤っかになった。
「おおお俺たちにはまだ早いからっ!」
しどろもどろになってるし。
どんだけ純情なんだって話である。親友のデイジーなんか、たまに娼館に足を運んでるというのに。
「は。うぶなネンネじゃあるまいし」
両手を広げてみせるミアであった。大変に蓮っ葉っぽい。
「女の子がそんなこと言っちゃダメでしょ」
「あんたはお母さんか」
きゃいきゃいと騒ぎながら立ち寄ったのは、なにやら肉料理のスタンドであった。
巨大な肉の塊をぐるぐると回しながら焼き、焼けてきた表面を削ぎ切りにして薄焼きの生地に挟んで食べる。
イフティヤールっていう料理らしい。
「興味深いわね」
「丸焼きは良くないって、前に言ってなかったか?」
「丸焼きじゃないわよ。これ。薄切りにした肉を何百層にも重ねてカタマリにしているの。たぶん脂とかも挟んでるわね」
さすがは肉食エルフ。ちょっと見ただけでだいたいの製法とか判っちゃうらしい。
浅黒い肌の店主から二人分を買い求め、食べながら歩く。
行儀悪いことおびただしいが、もともとマナーを云々する料理ではないだろう。
だから買い物帳も使わなかった。
銅貨数枚程度の請求を魔王にまわすのは、なんぼなんでも恥ずかしかったので。
考えてみたら、なかなか気の利いたシステムではあるだろう。
なにを買ったのか判っちゃうから、あんまりしょーもないものには使えないし、わざとらしく高額なものとかも角が立つ。
使う人の良心とか虚栄心を、うまいこと利用しているのだ。
「美味いけどスパイシーすぎるかな。俺的にはエルフ料理の方が好きかも」
もごもごと食べながらフレイが感想を述べる。
肉の旨さをぎゅっと閉じ込めたカラーゲ。あれは絶品だった。
「どっちにも良さはあるけどね。魔族料理も悪くないわ」
寛大なエルフである。
肉に罪はないんだってさ。
「結婚したら、毎日エルフ料理を食べさせてあげるわよ。嫌ってほどね」
「覚悟しておく」
肩をすくめるフレイであった。
ただ、たぶんミアの料理ばっかりは食べられない。
カルパチョも作るだろうからね。
ああ見えて、けっこう家庭的なところもあるから。
「放して! 放してください!!」
悲鳴が聞こえ、フレイは無作為な思考を中断した。
前方、五十歩ほどの位置で、女が数人の男に絡まれている。
どちらも魔族だ。
「うーん。こういうのって人間の街も魔王の支配域も変わんねえもんなんだなぁ」
妙なところに感心してしまう。
「そりゃそうよ。エルフの郷にだって頭おかしいやつはいたし、差別とかもあったもの」
人類ってこういうのからは逃れられないんでしょ、と、ミアが薄く笑ってみせる。
この場合の人類とは人間だけを指すのではなく、魔族やエルフ、獣人などもひっくるめた、ヒューマノイド型の知的生命体すべてのことだ。
『魔族による人類帝国』の人類と同じ意味である。
「まったくだ」
フレイが頷く。
なにしろ、頭おかしいエルフならよく知ってるからね。
「で、どうすんの?」
「それをきくかね? ミアさんや」
トラブルイズマイライフ。
厄介ごとこそが彼ら冒険者の飯の種だ。トラブルを避けたいなら、こんなヤクザな仕事なんぞからとっくに足を洗っているだろう。
とくに歩調を落とすこともなく現場へと近づいていく。
遠巻きにしている連中の間を縫うようにして。
あっしに関わり合いのないことでござんす、という態度だったため、女に絡んでいる男たちもとくに気にとめなかった。
そして、通り過ぎざまに男の一人に肩をぶつける。もちろん偶然を装って。
「いってえ! なにしやがんだ! 無関係な人間まで巻き込んでんじゃねーよ!」
左手で右肩を押さえ、がーっと文句を言う。
「うっせーなくそが! てめえがぶつかってきたんだろが!!」
男も負けじと言い返した。
「は! 次は言いがりかよ! さすがに女に絡もうってお人は品がよろしゅうございますね!!」
「ぶっころす!」
安い挑発に乗り、拳を固めて殴りかかってくる。
この程度の挑発で激昂するような相手なら、この程度の挑発で十分なのだ。
相手から先に手を出した、という口実をもらったフレイが、嬉々として殴りかかってきたその手を取る。
そしてそのまま半回転。
魔族の身体が見事な曲線を宙に描く。
フレイより身長で五割増し、体重なら倍はありそうな巨体がである。
ギャラリーがどっと沸いた。
小兵が巨漢をやっつけるシーンというのは、どこにいってもたいていもてはやされる。
吟遊詩人たちが歌う英雄譚だって、だいたいそういうのが多いしね。
「てめ! ふざけてんのか!!」
あっという間にフレイが包囲される。
そして彼が囲まれるということは、絡まれていた女性は解放されるということである。
二歩三歩と後退し、踵を返して逃げようとする。
単なる被害者、というにはおかしな行動だった。
が、そこでくたりと尻餅をついてしまう。強烈な眠気に襲われて。
「あんたにも聞きたいことがあるからね。ちょっと大人しくしていて」
地面に座ってうとうとする娘に、ミアが下目遣いに話しかけた。
それからゆっくりとフレイの方を見る。
包囲されている彼女の恋人は、トリッキーな動きで攻撃をかいくぐっていた。
余裕たっぷり。
これはフレイが強いというより、男どもが街のチンピラ程度の戦闘力しか持っていない、ということだろう。
むしろフレイとしては、大怪我をさせないように気を遣いながら戦ってるような感じである。
「しよとひお」
軽く息を吐いたエルフ娘が右手を振れば、地面がいきなり男どもの足首を掴んだ。
なにが起こったか判らないまま転倒する男ども。
すっと間合いを詰め、リーダー格の男の喉元にククリを突きつける。
黒焼きされた刀身が毒液でぬらぬらと光っていた。
「動いて。そしたら殺す口実ができるから」
「ヒィ!?」
微笑すら浮かべた秀麗な顔に言いようもない恐怖を感じ、男は悲鳴を上げる。
「逆らわん方が良いぞ。そいつは普通に実行するからな」
いつの間にかミアをフォローできる位置に移動したフレイが、男たちをぐるりと睨みつけた。
まだ戦意は喪失していないようだが、殺す覚悟も死ぬ覚悟もないため、男たちは仕方なく戦闘態勢を解く。
「OK。良い子だ。長生きできるぜ」
ぽんとミアの肩を叩いて、交渉に移る意志を伝える。
言葉を使わずに。
すっとエルフ娘がククリを降ろした。
以心伝心ってやつである。
「で、いったい何の騒ぎなんだ? こいつは」
理解ある笑顔を見せ、フレイが問いかけた。
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