第80話 旅は危険がいっぱいとか、そういうやつ?


大まぬけマインドボックス


 黒い肌の魔法使いの声を聞いたとき、その山賊の男は自分がどうしてここにいるのか判らなくなった。


「えう? あえ?」


 なんだっけ。

 言葉のしゃべり方もよく判らない。


 あれ?

 そもそも言葉ってなに?


 男の知性がどんどん奪われていく。


 数瞬の後には、彼はデイジーから手を離し、ぼけーっと突っ立っていた。

 焦点の合わなくなった目。

 よだれを流し、下は垂れ流しにして。


 禁呪のひとつである。

 対象者の知性を奪い、ありとあらゆる行動を取れなくするという怖ろしい魔法だ。


 もう少し経てば、山賊は生物の本能である呼吸の仕方すら忘れて、無様に窒息死するだろう。


「デイジーを押し倒し、あまつさえ髪まで引っ張った慮外者に、この程度の罰は甘すぎるがな」


 吐き捨てるパンナコッタだった。

 赤い瞳には怒りの炎が宿っている。

 ちょー怖い。


 仕方ないね。

 逆鱗に触れちゃったから。


 人を乗せてあげるくらい温厚なドラゴンだって、触られたら激怒する場所。それが逆鱗だ。

 誰しもそういう部分を持っている。


 パンナコッタにとってそれはデイジーだし、ガルにとっても同じだ。


 解放され、よたよたと二、三歩すすんだデイジーを、駆け寄ったガルが抱きしめる。


「怪我はないか?」

「ごめんね。足を引っ張っちゃった」

「謝罪はむしろそれがしの方だ。回復役が狙われるのは自明のことなのに」


 無念のほぞをかみながらの言葉は、わりと的外れだったりするけど。


 だって、デイジーの姿を見て司祭だって思う人はザブール在住の方々くらいだもん。

 初対面の山賊さんたちは、踊り子くらいに思ってたんじゃないかな。


 デイジーが狙われたのは、ひとえにデイジー自身が油断したからである。

 戦闘中に注意をそらしたら、そりゃこういう結果になりますって。


 殺そうではなく人質に取ろうって動いたのは、ぶっちゃけ運が良かっただけだ。

 もちろん、捕まえて犯したいって欲望はあったにしても。


 しかし、そんな些事は関係ない。

 奴らはけっして許されないことをした。


 左腕でデイジーを抱えたまま、ガルが大太刀を野盗どもに突きつける。


「貴様ら、ラクに死ねると思うなよ」


 叙事詩サーガに描かれる姫君と勇者、みたいなシーンだ。


 見た目的には半裸毛皮コート巨漢と、ラブリーチャーミーな美少女だけどね。

 あと、どっちも男だけどね。


 そのへんは些細なことなのである。

 きっと。






 その後の戦闘は特筆することもないままに終了した。

 ガルとパンナコッタが怒れる大魔神と化してしまったから。


 魔力剣を携えた屈強な戦士と、禁呪を操る大魔法使いの本気ですよ。山賊さんごときが対抗できるはずもなく、庭木の枝を払うレベルで打ち倒されていった。


 しかも宣言通り、ものすごーく残酷な殺し方をしていったもんだから、終盤なんて泣きながら命乞いでしたよ。盗賊さんたち。


 ただまあ、命乞いしようが降参しようが、助けてやることはできない。

 というより意味がない。


 捕縛して役人に突き出したら縛り首になるだけだし。

 かといって逃がしてやったら反省して真人間になるのかって話だし。


 他人様のものを殺してでも奪おうって連中が、これからは真面目に働きます、なんて心を入れ替えるはずがないのである。

 ふたたび徒党を組んで旅人を襲うだけだろう。


 もちろん、時間をかけて再教育するという手もないわけではないが、そのための金も時間ももったいなさすぎる。


 そんなわけで、哀れな山賊さんたちは山の糧となりました。

 野生の肉食獣がその死体を食べることによって飢えが満たされ、人々が襲われる可能性が減るかもしれない。


「だとすれば、彼らの死も無駄ではないでしょう」


 聖句を唱え、しゃららーんと錫杖を振るデイジーだった。


「当たり前だけど、めぼしいものはなんも持ってないな」


 ざっと一渡り懐を探って歩いたフレイが肩をすくめてみせる。


「くそほどの役にも立たぬ輩よ」


 ふん、とガルが鼻を鳴らすが、盗賊なんてそんなもんだ。

 そもそもきちんと貯蓄とかする人が野盗に堕するなんてことは滅多にない。


 計画性なんかないし、物資の管理だってちゃんとできていない。むしろそういうことができる、フレイみたいなリーダーがいる盗賊団は、野盗なんかやらなくても普通に食っていける。


 だから、山賊なんぞは基本的に貧乏だ。

 ため込んだお宝がある、なんてことはまず滅多にない。


「ガル。性格変わってるわよ。ほんとアンタってデイジーのことになると見境がなくなるわね」

「パンナコッタもじゃ。まったくこの狂信者どもめ」


 ミアとカルパチョが呆れている。

 後半戦なんて、ほとんど出番がなかった二人だ。

 狂戦士と狂乱の大魔法使いのおかげで。


 たぶん、こいつらだけで二十人近く倒しちゃったんじゃないかな。


「つーか、おめーら過保護すぎだから」

「うんうん」


 リーダーの言葉にデイジーも頷く。

 彼らは冒険者だ。危険と隣り合わせの職業なのである。

 怪我くらい普通にする。


 そんなもんでいちいちブチ切れていたら、この世は死体だらけになってしまう。


「蝶よ花よってやってると、デイジーが弱くなっちまうぞ。それでいいのかよ? ガル。パンナコッタ」


 じろっと睨んだりして。


『う゛……』


 胸を押さえるバカふたり。


 ある領主が、自分の後継者を可愛がりすぎて、戦にも出さず、重い物も持たせず、いっさいの苦労をせずに育てたことがあった。

 結果として、その後継者が領主になったとき、虚弱で民の心も判らず部下の気持ちを推し量ることすらできない、とんでもない暗君になってしまった。


 吟遊詩人たちが歌う『ヨリヒー愚鈍公』という故事である。

 フレイたち庶民も耳に親しんでいる演目だ。


「心配してくれるのは嬉しいけどね! ありがと。ガル。パンナコッタ」


 ふたりのおなかを、ぐいーって押すデイジーだった。


「で? どうするフレイ。アジトを探して叩くかい?」

「そこまでする必要はないだろ。後味の良い仕事にもならねーべし、やめとこうぜ」


 ヴェルシュの問いに、フレイが首を振る。


 アジトを襲撃したところで財産があるとも思えない。

 いるのは盗賊たちの妻子くらいだろう。


 そしてそれを見てしまったら、冒険者としては放置できないのだ。

 捕縛して近くの宿場の官憲に引き渡さなくてはならない。処刑されるか犯罪奴隷に堕されるか、どっちかの未来しか待っていないのを承知で。


 さすがにそれはいささか後味が良くない。

 どのみち男手のほとんどを失ったのだから、もう再起はできないだろう。この地を去るに任せてしまってもいいかなー、とか思ってるフレイだった。


「OKOK。俺はアンタの剣だからな。リーダー。決断に否やはないぜ」

「いつからヴェルシュが俺の剣になったんだ?」

「いやあ。ミアとカルパチョから、フレイの身を守ってくれって頼まれてるんだよ」


 なんと、ここにも過保護な人たちがいた。

 じろっと視線を巡らすと、カルパチョは視線をそらして口笛なんぞ吹いてる。

 まったく誤魔化しきれてない。


 ミアはといえば、仏頂面で睨み返してくるだけだ。


「ぞーねゃじんてっいとこないけよ。ドラゴンそく」


 ブツブツ言いながら。


 翻訳機能を使わないで喋っているので、もちろんフレイにはなにを言っているかわからない。

 ただ、ヴェルシュの頬がひきっと引きつったので、きっと彼が責められているんだろう、ということは理解できた。


 ふうと息を吐く。

 襲撃者の対応で、とんだ時間つぶしをしてしまった。

 少しはかり急がないと、日暮れまでに山小屋に入れなくなってしまう。


「みんな。出発しよう。すこし急ぎ目で」


 ぽんとミアの頭を撫で、指示を出すフレイ。

 くすぐったそうに目を細めたエルフ娘が、「うこいていま」と言った。


「んん? それはエルフ語なのか?」


 にこりと笑うミアだった。


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