第28話 略奪された姫君(男です)
「遅い! 遅すぎる!!」
どん、と、ガルがでっかい拳でテーブルを叩いた。
ザブールの街。いつもの酒場。
給仕の女性がびくっと身を震わせる。
なにか届けられていない料理でもあるのか、と。
フレイが片手を挙げて、申し訳ない大丈夫と謝罪する。
「あにやってんのよ。あんたは」
がすがすと、ミアが半裸戦士の脛を蹴った。
店の人を脅かしてどーすんだって話である。
「し、しかしミア。もう二十日だぞ! いくらなんでも遅すぎるだろう」
「十八日よ。なんで二日もかさ増ししてんの」
「うう……
デイジーがマリューシャー教団の本拠地たる
十五日行程のはずだったのだから、予定を三日オーバーしている計算だ。
ただ、片道六日の馬車の旅である。
多少のズレはあるだろう。
事故なり事件なりを疑うというほど遅れているわけではない。
「フレイからもなんか言ってよ。このバカに」
「うーん。そんなに心配なら司祭のところに確認にいってみるとか、そんな感じかな?」
ミアに話を振られ、フレイが腕を組む。
こういう現実的なアイデアがすっと出てくるのが、我らがチームリーダーである。
かるく頷くエルフ娘。
「ただ、神域だからさ。カルパチョは留守番の方が良いかもな」
「そうも言っておられぬ。ひとつには、パンナコッタがこのありさまじゃしな」
魔族としては、あんまり行きたくない場所だろう。
気遣いをしたフレイに、カルパチョが肩をすくめてみせた。
その横では、ダークエルフの魔法使いがずっとぶつぶつ言ってる。
マリューシャーの
「神よデイジーをお守りください……神よデイジーをお守りください……神よデイジーをお守りください……」
「予定の日にデイジーが戻らず。以来ずっとこんな感じじゃ」
「うわぁ……」
なんともいえない顔をするミア。
彼女のようなエルフも、パンナコッタみたいなダークエルフも、信仰心というものを持っていない。
ゆえに、いかなる神も信じることはない。
もちろん神の奇跡の恩恵などは、ありがたくいただくが。
で、信仰を持たないはずのダークエルフが、熱心に神に祈っているのである。
ミアでなくたってうわぁだろう。
「こやつの精神的な安定のためにも、一刻も早いデイジーの帰還が望まれるわけじゃよ」
こつこつとパンナコッタの脛を蹴りながら、両手を広げるカルパチョ。
ガルはミアに蹴られ、パンナコッタはカルパチョに蹴られ、どうなってんだフレイチームの男どもって感じだ。
「それに儂としても、はやく戻って欲しいという思いがあるのは事実じゃ。デイジーがおらんと冒険もできんでの」
「だなぁ」
ぼりぼりと頭を掻くフレイ。
回復役がいなくては、できることが限られてきてしまう。
現在、冒険者同業組合の
デイジーがいないのは、かなり痛い。
シスコーム探求程度だって二の足を踏んじゃうくらいに。
「会いにいってみるべ。ユリオプス司祭に」
エールをぐっと飲み干し、フレイが席を立った。
礼拝の間に、ぐったりと座り込む男。
魂が抜けちゃったような顔をして。
入ってきたフレイチームが見たものは、ユリオプスのそんな姿だった。
「デイジー……嗚呼……デイジー……」
ウワゴトみたいに呟いてるし。
嫌な予感に襲われ、フレイが駆け寄る。
このシチュエーションだもの。
デイジーになにかあったのかと思うじゃん。普通。
「神父さん!」
「フレイ少年よ……」
泣きはらした目を向ける司祭。
いつも通りのしっぶいバリトンが涙で湿っている。
「デイジーが……奪われてしまった……」
「奪われたて。どういうことだよ」
わけがわからない。
怪我をしたとか、事故に巻き込まれたとか、そういう話ではないというのか。
仲間たちも近寄ってきて、失意の司祭を囲む。
とにかく説明を聞かなくては、どんな判断もできない。
「つい先刻……総本山から手紙が届いた……」
震える手で、司祭がくしゃくしゃになった書簡を取り出す。
何度も何度も、すり切れるほど字を追ったのだろう。
まさに一文字一文字、間違いがないか確認するように。
「読ませてもらうよ」
受け取ったフレイが、記された
「こいつは……」
そう長い手紙ではない。
むしろ事務連絡に近いような、無機質な印象だ。
デイジーをマリューシャー教団の次代
つまり、もうデイジーはザブールには帰ってこない、ということだ。
「馬鹿なっ!」
「ふざけるなっ!」
激昂するガルとパンナコッタ。
話が違う。
司祭の資格を得るために出かけただけ。
そのはずなのに。
「はかられたわね。これは」
「じゃな」
ミアとカルパチョが頷きあう。
総大主教候補など、降って湧くような話ではない。
最初からそのつもりでデイジーを連れて行ったのだろう。
彼が非常に
それはたしかにその通りだろうが、展開が急すぎる。
「もしかして司祭さん。あんたこうなる可能性に気付いていたんじゃないか?」
ごく静かに、フレイがユリオプスに問いかける。
思い出したのだ。
大司祭からの説明をきくデイジーのことを見つめる彼の目に、喜び以外のものが浮かんでいたことを。
本来であれば、一番喜ぶはずの彼の瞳に。
「……現在の総大主教がご高齢で、ちかく交代があるだろうということは聞いていたのだ……フレイ少年」
そして、次の総大主教に指名されている大司祭は、非常に
「代わりにデイジーをってことか」
「おそらくは……」
だから大司祭ポーチュラカの訪問を、手放しでは喜べなかった。
そういう可能性に思い当たっていたから。
「ただまあ、出世は出世なんだよな?」
一応は確認する。
ひとつの教団のトップだもの。
領主とか騎士団長とか、そんな次元の地位だろう。
あるいはもっと上?
とにかく、ものすごい権力と、望むかぎりの富貴が与えられる。
「むろん、そのとおりだ。彼も、彼の家族も、今後生活に困ることは絶対にないだろう。しかし……」
「しかし?」
「私はデイジーを愛でていたかった。近くで笑っていて欲しかったのだ……」
「変態かよ」
おもわず口に出しちゃうフレイだった。
逆に危ないわ。
こんなのの近くに置いといたら、いつ手を出されるか知れたものじゃない。
「何を言うか! デイジーは私の愛弟子だ! 手を出すなどとんでもない! イエス! デイジー!! ノー! タッチ!!」
頭おかしいことを言い始める司祭。
『イエス! デイジー!! ノー! タッチ!!』
なぜか唱和する
フレイが両手で頭を抱える。
ダメだこの街。
頭おかしいやつしかいねぇ。
「がんばって。フレイ」
たいして慰めにもならなかった。
なにしろこいつも頭おかしいやつのひとりだから。方向性が違うだけで。
「バカたちの
腕を組むカルパチョ。
パーティーに欠員が出てしまう。しかも回復を担当する魔法職だ。
致命的だといっても、さほど過言ではないだろう。
事実として、彼らはデイジーがいない間、
「もちろん、別人をもって穴を埋めることは不可能ではないじゃろうが、儂としてはその席にはデイジーが座っていてほしいものじゃの」
自己中心的な主張だ。
デイジー本人の気持ちなど、まったく考慮に入れていない。
そしてそれは、マリューシャー教団も同じ。
「……会って、本人の意志を確認する必要があるな」
ぽつりと呟くフレイ。
我らがリーダーは、やっと動く気になってくれたようだ。
なにしろこのめんどくさいボーイは、自分の都合だけでデイジーを取り戻そうとは考えない。
親友がどう考えているか、まずそれが最優先なのである。
まったく、きっかけを与えてやるのも骨が折れる。
紅の猛将がにやりと唇を歪めた。
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