第26話 伯爵と魔将軍のアマくない過去
アンキモ伯爵への謁見は、思ったよりはやく実現した。
具体的には、組合に話を通した二日後に、迎えの馬車がデイジーの家にやってきた。
そこそこの商家とはいえ、
もう、目立つこと目立つこと。
にもかかわらず、デイジーの両親はまったく動揺しなかった。
使者が扉を叩いたときも、ごく当たり前のような顔でフレイに取り次いだほどである。
父のロンハーも母のティーファも、フレイのことは
もちろん、近々領主から呼び出しがあるかも、という旨の話をしていたという事情もある。
こうして近所の人々に見送られながら、フレイチームの六人は
ゆえに、彼らはロンハーとティーファが、去りゆく馬車を見つめてこんな会話をしていたことを知らない。
幸運なことに。
「デイジーが女だったらなぁ。フレイを婿養子に迎えられるのに」
「あんなんでも男ですからね」
ため息を吐くご夫婦。
デイジーと結婚させてフレイを跡取りに、という手は使えないのだ。
ちなみにデイジーには弟ばかり二人もいて、神官への道を選んじゃった長男の代わりに、弟たちのどっちかが商会の跡目を継ぐことになる。
二人とも素直で良い子なのだが、ついついロンハーはフレイと比較してしまう。
あの
欲しいと思っちゃうのだ。
「こうなったら作っちゃいますか? あなた」
「い、いまからっすか」
「十八歳違いの夫婦なんて、べつに珍しくもありませんよ」
政略結婚とかの分野ならね!
という言葉を、かろうじてロンハーは飲み込んだ。
そもそも娘が生まれるかどうかなんて、仕込む前から判るわけがないのである。
「さあさあ。フレイのお嫁さんを作りましょう」
ぺろりと上唇を舐め、奥さんが旦那さんの腕をとった。
「久しいのう。アンキモや。
「……本物だった……そうじゃない可能性を信じたかったのに……」
応接間に通された一行。
アンキモ伯爵を見るなり、儀礼的な挨拶を全部すっとばして、カルパチョが話しかけた。
対する伯爵の顔色は、死人のそれと大差なかった。
「なんじゃ? 四十年ぶりの挨拶がそれか? もう少し
紅の猛将が片頬を歪める。
「ヒィっ!?」
伯爵の頬が引きつる。
なんだこの
「カルパチョ。説明を」
「んむ。儂はこの男と面識があっての」
フレイの視線を受け、女魔族が軽く頷いた。
「もう四十年ほども前になるか」
魔王軍との小競り合いは、もう何百年も昔から続いている。
アンキモ伯爵公子エラリーの初陣となった戦いも、そんなひとつであった。
国境を挟んで、いつも通りの小競り合い。
しかし、その日は違っていた。
名だたる
理由はすぐに判明した。
魔王軍の幹部が
圧倒的な魔力、圧倒的な戦闘力。
為すすべもなく殺されてゆく人間たち。
味方が崩れて、逃げてゆくさまを、エラリーは呆然と眺めていた。
足は、まるで根を張ってしまったように、ぴくりとも動かなかった。
どれほどの時間が経ったのか。
あるいは、ほんの一瞬のことかもしれなかった。
気が付けば、彼の前に美女が立っていた。
燃えるような真っ赤な髪、溶鉱炉のなかの石炭みたいな真っ赤な瞳。
禍々しく輝きを放つ深紅の鎧。
上背こそそれほど高くない。むしろ小柄な方だろう。
魅入られたように立ちすくむエラリー。
「儂の姿をみても逃げぬとは、なかなかに根性が据わっておるの」
近づいてくる。
違う。
逃げないのではない。動けないのだ。
「剛の者か。黒髪というのも良いの。儂の赤毛と良い対比に……」
一騎打ちへの期待に瞳を輝かせ、とうとうと語っていた魔族の足が、ひたりと止まる。
おもむろに左手を顔に持っていく。
「そち……」
「うわー!! うわー!!! うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
説明の途中で、アンキモ伯爵が奇声をあげた。
なんというか、六十前の爺さんが叫んでいる姿は、一言でいってアレなものがある。
「伯爵閣下?」
首をかしげるフレイ。
つまり彼とカルパチョは、かつて戦場でまみえた仲ということなのだろう。
互いに実力を認め合ったとか、そういうやつだ。
「もう良いだろ! 私はカルパチョを知っておる! 偽物でないことも判った!」
「そうじゃな。儂としてもたいして思い出したいエピソードでもない。小ならまだしも、大というのは」
「うわー! だまれーっ! もう黙ってくれぃぃぃぃっ!!」
頭を掻きむしる伯爵。
かつては黒かったらしい真っ白な髪を。
なにをやっているのか、フレイにも仲間たちにもさっぱり判らない。
「ええとですね……組合から報告はあったと思うんですけど」
わかんないんだけど、このままカルパチョと伯爵を喋らせていても、話がちっとも先に進まないので、フレイは用件に入ることにした。
「あ、ああ。そうだな」
ふー、ふー、と、大きく息をはいた伯爵が、立派な椅子に座り直す。
「まずはフレイよ。そなたには礼を言わねばならぬな。先日の献上品について」
「
組合で習った言葉遣いで、フレイが丁寧に頭をさげる。
このあたりは型式だ。
「冒険者同業組合より要請のあった、カルパチョ卿ならびにパンナコッタ卿のザブール居住の件だがな。フレイよ」
「は」
「結論から言うと、認めざるを得ない」
ほろ苦い表情を伯爵がたたえた。
彼は魔王軍と矛を交えた経験がある。
その強さを知っている。
はっきりいって、本気で侵攻なんかされたら、とてもではないが勝算など立たない。
ザブールの街に猛将カルパチョが住み、しかも住んでいる間は魔王軍は動かない、という確約が得られるなら、乗らないという選択はないのだ。
「ただ、その前にフレイよ。
ちらりと視線を動かす。
要請のかたちをとっていても領主の言葉である。
命令と異ならない。
「なあフレイ。お前、ほんとにアレに勝ったのか?」
やがて、二人きりになったのを確認し、伯爵が口を開いた。
思いっきり言葉を崩して。
アレってのは、もちろんカルパチョだ。
「はあ。なんか、勝っちゃいました」
ぽりぽりと頭を掻くフレイ。
まぐれである。
もう一回おんなじことやれといわれても、絶対に無理だ。
「信じられん……で、アレに言い寄られているってのは?」
「なんか、そうっぽいんですよね……」
やっぱりはっきりしないフレイくん。
男女の
これまでの人生、恋人がいたこともないし、娼館にいったこともない。
清い身体なのだ。
ぶっちゃけ、デイジーの方がずっと遊んでいるくらいだ。
「どうすんの? 結婚すんの?」
「いや伯爵閣下。もうちょっと言葉を選びませんか?」
どんだけ下世話なんだか。
なんで
「アレを抱き込めるかもしれないんだぞ。頑張れや」
「頑張れいわれても……」
カルパチョが人間の味方になるというなら、このあたりの勢力図が一気に塗りかわる。
伯爵でなくたって期待しちゃうだろう。
不戦協定から、もう一歩すすめられないかなーって。
「他に恋人とかいんの? お前」
「いないですけど……」
「じゃあ頑張れ。けど無理に押し倒したりすんなよ? ぜってー怒らせんなよ?」
ぐいっと顔を近づけて念を押す。
もうね。
本当ね。
判ってるから。
あいつの強さとか恐ろしさとか、嫌っていうほど思い知らされてるから。
「が、がむばります」
異様な迫力に圧され、フレイがかっくんかっくん頷いた。
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