『自分に与えられたカードの中で自分にできることをするしかない。自分の努力が足りないことで自分が這い上がれないのは自分の所為』って考え方がどうして子供にだけ当てはまると考えられんのさ?

それにしてもさ、なんで<親ガチャ>って言葉にそんな過剰反応するんだろうね? 私なんて、


『子供達をこの世に送り出したのは私とダンナの勝手』


『子供達から『自分達を生んでほしい』とお願いされたことはない』


『子供達に対して<育ててやった恩>なんてない。私とダンナの勝手でこの世に送り出したんだから育てるのなんて当たり前』


『子供達に自分の老後の面倒を見てもらおうとは思ってない』


って考えてる上に、


『人間はどう頑張ったって<完璧>にはなれない。自分にできることの範囲内でやるしかないし、それによってもたらされる結果については現実として受け止めるしかない』


って考えてたら、<親ガチャ>なんて言葉があったところで別に何とも思わないけど?


だいたいさ、


『自分に与えられたカードの中で自分にできることをするしかない。自分の努力が足りないことで自分が這い上がれないのは自分の所為』


だって言うんだったら、自分の子供に、


『<親ガチャ>外れた!』


とか言われるのだって、<自分の努力が足りなかった結果>じゃん。違う? 『自分に与えられたカードの中で自分にできることをするしかない。自分の努力が足りないことで自分が這い上がれないのは自分の所為』って考え方がどうして子供にだけ当てはまると考えられんのさ?


私は、『自分に与えられたカードの中で自分にできることをするしかない。自分の努力が足りないことで自分が這い上がれないのは自分の所為』だからこそ自分の子供に『<親ガチャ>外れた!』とか思われるのならそれは自分の所為だとしか思わないけど?


そもそもさ、


『決して恵まれた環境とはいえなかったけど自分の親は頑張ってくれてたと思うし感謝してる』


って思える親って、<アタリの親>じゃないの? 別に経済的などうこうだけですべて決まるわけじゃないんでしょ? だったら<感謝してもいいと思える親>ってだけでそれは<アタリ>だと思うけど?


でもね、世の中には、子供の努力を片っ端から踏みにじっていく親ってのも現にいるんだよ。私の両親だって、あの人達が私の実の両親だって知れたら、それはそれは私達の家庭にまで多大な影響あると思うよ? せっかく幸せを掴んだ娘の家庭までメチャクチャにしかねない親が<ハズレ親>じゃないなら、何なの?


実際にそういう相談がネットに上がってたりするじゃん。とっくに親の下から自立して家庭を築いて普通に幸せにしてた子供のところに一方的に押しかけてきてメチャクチャにしていく親についての相談とかさ? 


それ自体がどこまで事実かは分からないけど、共感を集めることもあるってんなら、似たような経験をしてる人も多いってことでしょ?


そんな親が<アタリ>なの?


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