私が異世界物を書く理由
『情けは人の為ならず』って言葉があるけど、それって、『他人に情けを掛けるのは、その人のためという以上に自分自身のため』っていうのが本来の意味だよね? つまり、その言葉が生まれた時にはもうそれに気付いて
『情けは人の為ならず』って言葉があるけど、それって、『他人に情けを掛けるのは、その人のためという以上に自分自身のため』っていうのが本来の意味だよね? つまり、その言葉が生まれた時にはもうそれに気付いて
『情けは人の為ならず』
って言葉があるけど、それって、
『他人に情けを掛けるのは、その人のためという以上に自分自身のため』
っていうのが本来の意味だよね? つまり、その言葉が生まれた時にはもうそれに気付いてた人がいたってこと。
なのにどうして、後の世に生まれて現代を生きる人間がそのことをわきまえてなかったりするの?
『目上の人や年長者は敬え』
とか言うよね? なのに、自分達よりもずっと先に生まれた大先輩の言葉をなんで理解しようともしないの? ぜんぜん敬ってないじゃん。
そういう態度だから自分も敬ってもらえないってなんで気付かないの? 先に生まれて重ねてきた人生経験は、何のためにあんの? 『ただ先に生まれたからというだけで敬ってもらえる』ためにあんの?
私はさ、自分が子供達から尊敬してもらえるような立派な大人じゃないことは嫌というほど自覚してるよ。でも、だからこそ、何度も言うように、
『相手を敬う』
ってことを大事にしなきゃと思うんだよ。そしてそれは、子供達に対しても同じ。<相手を敬う姿勢>を大人が親が子供達の目の前で示すから、子供達もそれで<相手を敬う姿勢>ってのを学べるはずなんだよ。
もちろん、それが上手にできる人とできない人が出てくることはあると思う。でもさ、<相手を敬う姿勢>ってのが根本的に身に付いてたら、上手くできない人を相手にしても、自分も上手くできなくても、可能な限りそれを伝えなきゃって思えるんじゃないの?
初手から相手を敬う姿勢を見せない人なんて、信頼してもらえると思う? てか、そんな人を自分は信頼したいと思う? 思わないならそれが答えじゃん。
自分が他人から信頼してもらえないとか、好きになってもらえないとか、結局、自分の態度が原因じゃないの?
『人間の印象はほとんどが見た目で決まる』
みたいなことも言われるけど。それって、<仕草>だとか<振る舞い>も含んでの見た目なんだよ。<相手を敬う姿勢>を見せる気がない人は、当然、仕草や振る舞いにもそれが出ちゃってるんだよ。そういう部分が相手に見透かされちゃってる場合もあんの。
まあ確かに、顔の造形やスタイルやファッションしか見てない人もいるだろうけど、それは別に全員がそうってわけじゃないからね? 顔の造形やスタイルやファッションに勝負できないなら、そういう部分だけで相手を判断するような人は最初から構わなくていいんだよ。切り捨てればいいと思う。
だけど、相手を敬うことができれば、そういう部分を見てくれる人もいるんだよ。
逆を言えば、相手を敬うこともできないのに、顔の造形やスタイルやファッションでも勝負できないなら、何も勝負できるポイントはないよね。
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