私が異世界物を書く理由
なるほど、『自分の所為だ!』と強く思い込んで自分を責めてしまうタイプの人には、『子供は親を選んで生まれてきた』ってことにして逃げ道を作る必要はあったのかもしれない。『自分が悪いんじゃない。自分なんかを
なるほど、『自分の所為だ!』と強く思い込んで自分を責めてしまうタイプの人には、『子供は親を選んで生まれてきた』ってことにして逃げ道を作る必要はあったのかもしれない。『自分が悪いんじゃない。自分なんかを
なるほど、『自分の所為だ!』と強く思い込んで自分を責めてしまうタイプの人には、
『子供は親を選んで生まれてきた』
ってことにして逃げ道を作る必要はあったのかもしれない。
『自分が悪いんじゃない。自分なんかを選んだ子供が悪いんだ』
ってさ。
たとえそういう形でも救いは必要だったのかもね。それでなくちゃ救われない人もいたのかもしれない。
でもさ、それだと、子供の<救い>はどこにあるの? 虐待親の下に生まれてきてしまった子供は、親に虐げられ、その上、
『自分が虐げられた原因は自分にあるから、虐げられても仕方ない』
とか思えって? なにそれ? どんな拷問?
だけど残念。私は、私の子供達に対して『生んでもいい?』とか確認した事実は一ミリもないし、子供達も『生んでくれ』なんて頼んだ事実はどこにもないし、私を選んで生まれてきたという事実は、どこをどう探したってないんだよ。
実証しようのないオカルトをいくら並べたって、ないものはないの。
私の子供達をこの世に送り出したのは、百パーセント、嘘偽りなく、天地神明に誓って<私の勝手>なんだ。
そして、私の<共犯>になってくれたのは、私のダンナ。ダンナも、
<自分の勝手で子供達をこの世に送り出した責任>
を、私と一緒に負ってくれたんだよ。だから私は、事実を受け止められた。現実と向き合うことができた。ダンナと一緒にお互いを支え合ったからね。
なるほど私一人じゃ現実を受け止めきれなかったかもしれない。だけど私が選んだのは、<彼>だったから。彼をダンナに選んだのも、他でもない私自身だよ。
だけど私もダンナも、<完璧な親>じゃない。どっちも大きな欠陥があって、親としちゃダメダメもいいところだと思う。
でもさ、<ダメな自分>ってのも、やっぱり現実なんだよ。その、
<ダメな自分という現実>
を受け止めりゃ、楽にもなれるんだよ。完璧な親になんてなる必要もないしさ。そもそも、
<完璧な親>
なんていうのもただの幻じゃん。どこにそんな親がいんの? ってレベルのさ。世界のどこかにはいたとしても、日常的に身の周りにいるくらいじゃなきゃ、そんなの<普通>じゃないじゃん。
だから私は、<完璧な親>なんて目指さない。完璧な親じゃなくても子供はちゃんと育つんだよ。親が、子供のことを、
『自分とは別の存在として敬う』
ことができればね。
親が自分を敬ってくれるから、子供も『他者を敬う』ってことを学べるし、親が自分を敬ってくれるから、『自分は望まれて生まれてきた』と実感できる。
別に難しいことじゃないよ。多少、勉強ができるとかできないとか、見た目がイケてるとかイケてないか、なんて、致命的な問題でもないしさ。
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