私は、イジメや虐待を正当化したい人らからは嫌われてるそうだ。でも、それは構わない。万人から好かれるなんてどうせ無理だからね。たださ、イジメや虐待をせずにいられない状態ってのは辛いよね

私は、イジメや虐待を正当化したい人らからは嫌われてるそうだ。


でも、それは構わない。万人から好かれるなんてどうせ無理だからね。


たださ、イジメや虐待をせずにいられない状態ってのは辛いよね。


結局それって、そうせずにいられないくらいのストレスを抱えてるってことだろうからさ。だけど、根本的な問題としてさ、それだけのストレスを抱えなきゃいけなくなってるのはなぜ? なにが原因でそうなってるの? それって、他の誰かからストレスを押し付けられてるからじゃないの? 


だったらさ、やっぱり、イジメや虐待をせずにいられないくらいに追い詰められるのって、好ましいことじゃないって話にならない?


誰かを追い詰めるのって、好ましいことなの? イジメや虐待で誰かを追い詰めるのって、正しいことなの? 自分が追い詰められてるからイジメや虐待で発散せずにいられなくなってるのに?


それでなんで、他者を追い詰めることが正当化できんの?


っていう、単純な話だと思うんだけど?


あと、私が、


『子供のために自分の人生を犠牲にしてることに酔ってる』


って思ってる人もいるらしいね。うん、まあ、素の私を知らない赤の他人が私の一面をどう捉えようとその人の勝手だけどさ、私は、何度も言うように、ただただ、


『自分の勝手で子供達をこの世に送り出した』


って事実を認めてるだけだよ。そして、ダンナも。これは、さくらも同じ。


どんなオカルトで誤魔化そうとしても、


『子供が親を選んで生まれてきた』


なんていう事実は存在しないからね? <記憶>ってやつは、なんだかんだと上書きされることで変化していくのも事実。『正しい』と思ってた記憶が実はいつの間にか歪められてたなんてことも珍しくないしさ。


例えば、


『自分の小さい頃、家で犬を飼ってた。って記憶があったけど、実際に犬と一緒に写ってる写真とかがあったけど、ホントはその犬は隣家の飼い犬で、ただよく一緒に遊んでもらってただけ』


みたいな話、自分の周りにもない? 


もしそういうことがあるなら、


『記憶というものは意外と当てにならない』


という何よりの証拠だよね? ある事件の目撃者から容疑者の特徴を聞き出して似顔絵を描こうとしても、その際に警官から『~な感じだった?』みたいな訊かれ方をしたら、『そうだったかもしれない』って思ってしまって、事実とは違う記憶を作り上げてしまうってことがあるってのは、犯罪捜査の上では注意すべき点と言われてるんじゃないのかな?


それくらい、<記憶>ってのは当てにならないものなんだよ。


自動車事故で、実際にはアクセルを踏みつけてただけなのに本人は『ブレーキを踏んでた』と思い込んでたとかね。


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