私が異世界物を書く理由
フィクションを楽しむのはいい。私だって楽しんでる。だけど、フィクションと現実は違うの。だからこそ、フィクションの中では現実では有り得ないことを描くの。あくまでも一時的な娯楽に過ぎないから
フィクションを楽しむのはいい。私だって楽しんでる。だけど、フィクションと現実は違うの。だからこそ、フィクションの中では現実では有り得ないことを描くの。あくまでも一時的な娯楽に過ぎないから
いわゆる<恋愛もの>みたいな恋愛を夢見る女性は多いのかもしれない。私だって、十代の頃まではそんなのをちらっと夢見てたというのは実際あった。
だけどさ、恋愛も含めて、<人生>ってのはそんな山あり谷ありなんていう状況ばっかりじゃ、ほとんどの人は精神がもたないんじゃないかな。だって、多くの人間は、普段と大きく状況が変わることに対して、たとえそれが<嬉しいこと>であっても、実は大きなストレスになるらしいしさ。
ってことは、連続して山あり谷ありの状態が続くのは、ずっと大きなストレスに曝され続けるってことになるじゃん。その状態に耐えることができる人なんて、実は例外的なごく限られた人なんじゃないの?
少なくとも私や私の周りには、
<ドラマティックな日常>
なんてものを望んでる人はほとんどいないよ。結局、平穏でのんびりとした日常を、いわゆる<日常系>な感じの穏やかな毎日を送りたいって人がほとんどなんだよ。
だって、人生って、わざわざ波風立てようとしなくてもいろいろあるじゃん。事件や事故や災害のニュースを見ない日はないし、それこそ、<ペスト>や<スペイン風邪>的な歴史上の出来事って感じのことに巻き込まれたりもしたじゃん。
こんな歴史的な大イベントに遭遇できたってのに、
『大変なストレスを感じてる』
的にボヤく人が滅茶苦茶多いじゃん。<ドラマティックな出来事>に憧れてるんじゃないの? まさに歴史の教科書に載るような出来事に参加できたんだよ? なんでそれを楽しまないの?
『楽しめるか!!』
って? じゃあやっぱり、<ドラマみたいな人生>なんて送りたくないってことじゃん。現実はドラマみたいに主人公に都合のいい展開なんて起こらないんだよ?
たとえ誰かにとって都合のいいことが起こったとしても、それがずっと続くわけじゃない。だって、現実は、フィクションのように<区切り>はつかないんだからさ。何か自分に都合のいいことが起こった人だって、しばらくしたら都合の悪いことが起こるかもしれない。
<時代の寵児>
みたいにもてはやされた人が、何年か後に酷く落ちぶれて無様を晒すみたいなこともよくあるじゃん。実際、そういうのを目撃してきたでしょ?
絶頂期で『よかったよかった』で<ハッピーエンド>で終わるわけじゃないんだよ。人生ってのはさ。
フィクションを楽しむのはいい。私だって楽しんでる。だけど、フィクションと現実は違うの。だからこそ、フィクションの中では現実では有り得ないことを描くの。あくまでも一時的な娯楽に過ぎないから。
現実にフィクションのノリを持ち込もうとするのは、危険なんだよ。
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