『他人の幸せを不快に思うのは人間の本能』とか言ってるのがいるらしいけど、は? それが<本能>だって誰が確認したっての? なるほど確かにそう感じるのも少なくないかもしれないにしても、だからって

『他人の幸せを不快に思うのは人間の本能』


とか言ってるのがいるらしいけど、は? それが<本能>だって誰が確認したっての? 


なるほど確かにそう感じるのも少なくないかもしれないにしても、だからって<本能>だとは限らないじゃん。


実際、私も私の家族も、さくらもさくらの家族も、他人が幸せそうにしてるのを別に不快には感じないしさ。


それは結局、自分が幸せだからだよね。自分が幸せだから他人が幸せそうにしてても気にならない。それが気になるのは、不快に感じるのは、自分が幸せじゃないからでしょ? それを<本能>だなんて、よく言えたもんだよね。


『本能だから仕方ない』


って言い訳したいだけじゃん。


だけどさ、もし、本当に<本能>なんだとしても、


『人間は、他の動物とは違う。本能だけで動くわけじゃない』


ってことで、散々、本能ってのを否定してきたじゃん。本能を無視して一対一の婚姻関係を推し進めて、挙句の果てに『子供も要らない』ってのを認めたじゃん。それなのに、自分が他人を妬む言い訳に<本能>を使おうとすんの? 随分とムシのいい話だよね。まあ、そもそも、『他人の幸せを不快に思うのは人間の本能』なんて理屈が無理筋だとは思うけどさ。


冷静になって、どうして他人の幸せが妬ましいと感じるのか、客観的に考えてみたら?


私も、昔はそうだったよ。他人の幸せが妬ましかった。でも今は、そうじゃない。それは結局、今、自分が幸せだからなんだ。自分が幸せだという実感があるから、気にならない。気にしないようにできる。


本能に逆らって、『異性と付き合いたいと思わない』『子供が欲しいとは思わない』ってできるんなら、『他人の幸せを不快に思うのは人間の本能』なんてものが本当にあるんだとしても、それに逆らえばいいじゃん。


別に、食欲とかと違って、命に直結するようなものじゃないんだからさ。


ま、私としては、そもそも、何でそんなに多くの人が『他人の幸せを不快に思う』のかが、気になるところなんだけどさ。たぶん、<他人の幸せを不快に思うこと>そのものを批判したって問題は解決しないと思うし。


結局、<他人の幸せを不快に思う原因>を突き止めて対処しないとダメだよね。


私自身は、自分が幸せを実感できてることで、他人の幸せを妬んだりしなくなったから、まあやっぱりその辺りに原因があるんだろうなとは実感してる。


『この世界はクソ!』


とか、


『生んでくれなんて頼んでない!』


とか言っちゃうのも、本質は同じかもね。


なにしろ私の子供達は、他人の幸せを本気で不快に感じたりしてないし、『この世界はクソ!』とか『生んでくれなんて頼んでない!』とかも、<ネタ>としては口にすることもあっても、本気では思ってないしさ。


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