私が異世界物を書く理由
『自分の好みに合わなきゃ駄作』なんて、なんでそんな、『世界は自分のために存在してる』みたいな考え方できんのかなあ。普通に考えたら分かるじゃん。何もかもが自分の好みに合わせて存在とかできないって
『自分の好みに合わなきゃ駄作』なんて、なんでそんな、『世界は自分のために存在してる』みたいな考え方できんのかなあ。普通に考えたら分かるじゃん。何もかもが自分の好みに合わせて存在とかできないって
ところで、『自分の好みに合わなきゃ駄作』なんて、なんでそんな、
『世界は自分のために存在してる』
みたいな考え方できんのかなあ。普通に考えたら分かるじゃん。何もかもが自分の好みに合わせて存在とかできないって。
『序盤の雰囲気をそのまま貫けば面白くなった』
とか、
『意識高い系の雰囲気が鼻について楽しめなかった』
とか、
『こんな結末じゃ台無しだ』
とか、それって全部、『あなたの感想ですよね?』って話じゃん。
『自分の<好み>には合わなかった』
ってだけじゃん。
『自分の好みには合わなかったな~。じゃ、次行こ、次!』
なだけでいいのに、どうしてそこで、
『自分の好みに合わせたら良作になった!』
的なことを言っちゃうの? そんなに自分のことを誰かに認めてもらいたいの?
『自分の感性こそがマジョリティだ』
とか思いたいの? なんで? マイノリティじゃ生き辛いから? だけど、世界的に見ると、メジャースポーツを楽しんでる方がずっとマジョリティで、アニメとか漫画とかを楽しめてるのは、マイノリティなんだよ? 今でもね。
本当にマジョリティになりたいなら、メジャースポーツに熱中した方がいいんじゃないの?
『世界とかどうでもいい! 自分は日本に住んでるんだから日本の中での話だ!』
って?
んん? 世界(他人)からごちゃごちゃ言われたくないって? 世界(他人)のことなんか関係ないって?
それを言うならどうして、『自分が楽しめなかった自分には合わなかったものを楽しんでる人達にケチ付ける』ような真似すんの?
『自分はごちゃごちゃ言われたくないけど、自分が他人に言うのは許されるべきだ!』
ってこと? いや、だからそれが<甘え>だっての。
そういう形で他者にストレスを転嫁せずにいられない状態にある自分の子供を、私は放置しないよ。作品が自分の好みに合ったか合わなかったか、そういう部分でのあれこれについて、私は子供達と話し合うんだ。そうすることで、ストレスを発散してもらう。他者に向けないようにするためにね。
その手間を掛けない親がいるってことでしょ? それも、相当数。
こんだけ、他者に対して攻撃的な、自分の気に入らないものに対して攻撃的な、<自分のストレスを他者に転嫁することがやめられない人間>がいるってことはさ。
<自分の子供のストレスを家庭内で処理する手間を惜しんで放置している親>
がそれだけいるってことでしょ?
これが<親の怠慢>でないなら、なんなの?
そこで『親の所為にするな』って言うのなら、自分でちゃんと対処しないとおかしいじゃん。
『他者に自分のストレスを転嫁せずに済む』
ようにさ。
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