世の中にはさ、『<いい人>は間違えない、失敗しない』みたいな妙な思い込みがあるよね。アニメとかでさ、<嫌な親>ムーブを繰り返してきた親がちょっと<いい人な一面>を見せるだけで
世の中にはさ、
『<いい人>は間違えない、失敗しない』
みたいな妙な思い込みがあるよね。
アニメとかでさ、<嫌な親>ムーブを繰り返してきた親がちょっと<いい人な一面>を見せるだけで、
『なんだ、いい親じゃないか』
的に手の平を返すのも多いよね。で、その親の言うことに従わなかった子供の方を、
<親の真意に気付かない浅はかな愚か者>
みたいに言ったりするじゃん? いや、それ、おかしいでしょ? フィクションで印象を誘導するために『敢えて表現しない』という演出はあるとしても、現実でなんでわざわざそんな演出が必要なわけ? 最初からちゃんと明らかにしておけば済む話じゃん。それをしないってことは、ただの<怠慢>でしょ?
もし、怠慢じゃなく、
『どう伝えればいいのか分からなかった』
ってことなら、それは親の側が未熟だっただけじゃん。なんでそれが、ちょっとばかり<いい人ムーブ>を見せただけで帳消しになんの?
フィクションならそういう演出もあるのは分かるよ? 何しろフィクションだから。現実じゃないから。
だからさ、
『いい人だからって<完璧な人間>とは限らない』
ってだけの話なんだよ。いい人も失敗するし間違うこともある。
<いかにもないい人って感じの親>
だって、失敗もするし間違うことだってあるんだよ。子供との接し方だってね。
なんでそういう現実から目を背けるのかが分からない。そういう現実から目を背ける人間のどこが『強い』のかが分からない。実際には『弱い』から現実を見たくないんでしょ? 自分が失敗したこと間違えたことを認めたくないから見ないふりするんでしょ?
『心が強い』
とか、
『精神が強い』
とか、そんなのはただの虚飾だったってことじゃん。心が強い、精神が強い、じゃなくて、
『単に現実を見ないようにとして頑迷なだけだった』
ってことじゃん。それの何が『強い』って? ただの、
<弱さの裏返し>
じゃん。
自分がルールを守らなかっただけなのに、詭弁を弄して言い訳並べて正当化しようとする人間のどこが『強い』のか、言ってごらんよ? そういうのはね、
<悪辣>
って言うんだよ。
そういう<悪辣な大人>がいかに多いか、本当は分かってるんでしょ? 実感してるんでしょ? 自分もその<悪辣な大人>の一人だってことを認めたくないから、見て見ぬフリをしてるだけで。
まあこんなことを言ってる私自身、<ロクデナシ>だからね。でも少なくとも、自分がロクデナシであることは自覚してるつもりだよ。
そんな自分が子供に対して偉そうになんてできないってわきまえてるだけなんだ。
<偉そうなだけの大人>
なんて、他でもない私自身が信頼も尊敬もできないからさ。
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