『一時の現実逃避を楽しむ』ってのは、別に問題ないと思うよ。私が小説を読んでたのも、両親や兄から掛かるストレスを、『小説を読むことで現実逃避する』って形で緩和するためだったしさ

<『努力ができない、続かない』っていう疾患>


があることは私も知ってるし、別にそれを責めるつもりはないよ。


<世間がそれを理解してくれないことからくるストレスを緩和するための現実逃避の手段>


というのを必要としてるというのならそれも分かる。


だけどさ、それはあくまで、


<その疾患に合わせた対処>


でしょ? それがどうして、


『その疾患を持つ人以外にも薬物の使用を認めろ』


って話になんの? 関係ないじゃん。そういう疾患がないんならさ。


他にも、<現実逃避によるストレスの緩和>を必要としてる人がいるというのも分かる。だけどそれさえ、<個別の事案>としてそれぞれに応じた対処が必要ってだけでしょ?


『それを世の中が理解してくれないから変えなきゃいけないんだ!!』


って?


んん? それっておかしくない? 


最初の段階で、


『それを必要としてる自分達のことを世の中が理解してくれない』


って言ってんのに、


『だから世の中を変える』


とか、ひどい矛盾だよね? 理解してもらうことを諦めてんのか、理解してもらいたい・認めさせたいのか、どっちなの?


理屈が完全に破綻してんじゃん。


で、別にそこまでマジで必要としてるわけでもない、ただ目先の<いい気分>が欲しいだけのも焚きつけて<大きな声>にしようとしてるってわけ? 道理なんて後回しにして。


でもさあ、タバコや酒だけでさえ、節度をわきまえずに他人に迷惑を掛けまくるのが現にいるのに、そこにさらに気分が高揚してタガが外れやすくなってるのを増やそうっての?


『外国では合法なところもある!』とか言うかもしれないけど、元々の犯罪発生率とか、ちゃんと考慮に入れてる? 


『気に入らない相手がいたら取り敢えずぶん殴っとけばいい』


みたいなところと同じに考えられるとか本気で思ってる?


勘弁してほしいんだけど。




とにかく、『一時いっときの現実逃避を楽しむ』ってのは、別に問題ないと思うよ。


私が小説を読んでたのも、両親や兄から掛かるストレスを、


『小説を読むことで現実逃避する』


って形で緩和するためだったしさ。


だけど、家を出て、両親や兄と距離を置くようにして、自分で自分の人生を作るようになってからはさ、辛い現実から逃れるための<現実逃避>じゃなくて、単純に小説を楽しむことができるようになっていったんだよね。


まあでも、その時点じゃ全然、意識してそうしてたわけじゃなくて、『たまたまそうなっただけ』っていうのも事実だったよ。だけど、さくらに出逢ったりダンナに出逢ったりしてさ、自分の<在り方>ってものを考えるようになっていったんだ。


とにかく、現実逃避に頼ってるだけじゃ、


<現実逃避に頼らずにいられない状況>


は改善しないよ。


てか、それに頼ってばっかじゃ、慣れてきたらもっと強い<現実逃避>が必要になってくるんじゃないの? 毒性云々以上にそれがマズいから禁止されてるんだって聞いたんだけどな。


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