子供用ハーネスを使うことにケチ付けてるのがまだいるらしいね。『子供をペット扱いするな』とか何とか。こういうところでも、<言葉>ってものの使い方なんてどうでもいいと考えてるのが多いことが分かるよ

子供用ハーネスを使うことにケチ付けてるのがまだいるらしいね。


『子供をペット扱いするな』


とか何とか。


こういうところでも、<言葉>ってものの使い方なんてどうでもいいと考えてるのが多いことが分かるよ。


だって、<ハーネス>ってのは、自動車の<シートベルト>のことだよ? つまり、


『それを付けてる人の安全を守る』


もの。


対してペットの犬とかを繋いでおくための紐は<リード>じゃん。そしてリードは、


『犬とかを人間社会で飼うために、人間の管理下に留めておくために使う』


ものじゃん。


名前も違えば用途も違う。そういうことを理解する気もないのがそれだけ多いってことでしょ?


私も、次女がまだ小さかった頃に使ったよ。長男と長女については、事情があって小さかった頃はほとんど家から出なかったから使わずに済んだけど、次女の時は普通にお出掛けもしたからね。


あの頃も、


『子供をペット扱いするな』


『親が楽したいだけでしょ』


『手を繋いでおけばいいだけ』


とか言ってるのがいたけど、完全無視してやったわよ。


もし、親としての経験があるのがそんなこと言ってるなら、たまたま自分の子供が運よく無事だっただけなのをさも自分の功績のように思ってるのが実に気持ち悪い。


てか、そうやって他人にケチ付ける時点で当人の人間性が見えるじゃん。


で、私がこう言ってるのも、


『他人にケチを付けてる!』


って言うんだろうけど、何度も言ってるように私自身はれっきとした<ロクデナシ>だからね。私が『他人にケチを付けてる!』のなら、それと同じことをしてる人間も、


<ロクデナシである私と同類>


ってことじゃん。


違う?


まあこれも何度も言うことだけど、別に、


『ご立派な人格者であれ!』


みたいに言いたいわけじゃないんだよ。<完璧でもご立派でもない自分>ってものをわきまえてれば、『子供の安全のために子供用ハーネスを使う』という他人の判断にケチ付けたりはできないんじゃないの? って言いたいだけ。


次女に子供用ハーネスを付けてた時に、私も、


『付けててよかったあ!』


と思うことが何度かあったよ。ハーネスを繋いだ状態で手も繋いで歩いてたんだけど、何か気になるものを見付けたのか、次女が私の手を振りほどいて走り出しちゃったことがあったんだ。だけど子供用ハーネスのおかげで事なきを得た。


もし、子供用ハーネスを付けてなくても、事故とかにはならなかったかもしれない。だけど、その逆の可能性だって当然あるし、たった一回が取り返しのつかない事故だったかもしれない。


その、


<たった一回の取り返しのつかない事故>


を防ぐために自動車のシートベルトも、高所作業用の安全ベルト(ハーネス)も、子供用ハーネスもあるんじゃないの? 


子供用ハーネスを批判する人は、ひょっとして、自動車のシートベルトも高所作業用の安全ベルト(ハーネス)も使わないタイプ?


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