なんてことを延々と言ってたって、別に私が世の中を変えられるなんて思ってないよ。逆逆、そういう世の中に自分が引っ張られないように流されないように自分自身に言い聞かせてるだけ
なんてことを延々と言ってたって、別に私が世の中を変えられるなんて思ってないよ。逆逆、そういう世の中に自分が引っ張られないように流されないように自分自身に言い聞かせてるだけ。
『他人がやってるから自分も』
って思わないようにしてるだけだよ。
そんな風に言い聞かせてないと、人間って簡単に楽な方に流されるからね。
『みんなやってるじゃん!』
とか<他人の所為>にして一方的に言いたい放題ってやる方が楽だもんね。
テレビの番組を見てて気に入らないのが出てきたら、好き勝手に難癖付けるとかね。
自分じゃ何もせずにそうやって他人に難癖付けてストレスを転嫁してるだけじゃ、そりゃ楽だろうね。
でも、そういうのってつまり、
『自分の周りに、今の自分を客観的に見て他人からどう見えてるかってのを教えてくれる人がいない』
ってのを世界に向かって大声で発信してるのと同じなんだよね。
なんでそれに気付かないかなあ。もし、気付いててやめないのなら、それこそ<甘え>じゃん。
加えて、
『親が『そういうのは好ましくない』ってのを教えてくれなかった』
ってのも、発信してるよね。
そう考えたらさ、自分の子供が他人に難癖付けてるのを世界に向けて発信してるとか、無茶苦茶情けないと思うんですけど?
で、こう言うと、
『言いたいことも言えない世の中とか!』
って自分を正当化しようとするんだけど、いやいや、他人に自分の行いを批判されたことでキレて正当化しようとしてるのって、他人の『言いたいことを言う』ってのを認めてないってことじゃん。
『自分は言いたいことを言うけど、他人が言いたいことを言うのは認めない』
って考えてるだけじゃん。
だから私は、
『言いたいことを言うにしても言葉を選ばなきゃいけない』
と思うし、それを自分の子供達にも理解してもらわなきゃって思ってんの。
そもそも、
『他人の生き方やり方にケチつける』
のって、それをやってる本人にとっても、
<されたくないこと>
の筆頭にくるようなことじゃないの? 自分は他人からケチつけられるのは嫌じゃないの? 自分は嫌なのに何で他人にケチつけんの?
それとも、自分が他人からケチつけられてるから自分もやるってこと?
だからそれは、<他人の所為>にしてるって言ってんの。
『自分がやられてるから自分も』
も、
『他人がやってるから自分も』
も、どっちも<他人の所為>にしてるだけだから。
批判するにしても、<行為>を批判するのは私もやってることだけど、特定の誰かの人格そのものをとやかく言うのは違うと思ってる。
私はあくまで<行為>について言ってるから、ものすごくあてはまるのが多いと思うよ。
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