人間は家畜を産まない。自分の子供を家畜扱いするってことは、家畜だと思っているってことは、自分自身が家畜だってことだよね。逆に、自分を人間だと思うのなら、自分が産んだ子供も家畜じゃなくて人間なんだよね

そうだ、人間は家畜を産まない。自分の子供を家畜扱いするってことは、家畜だと思っているってことは、自分自身が家畜だってことだよね。


逆に、自分を人間だと思うのなら、自分が産んだ子供も家畜じゃなくて人間なんだよね。


そして人間は常に自分に都合よく動いてくれるわけじゃない。どうしてその当たり前のことを無視しようとするんだろう。


自分が他人にとって百パーセント思い通りにいられるわけじゃないっていうその事実を考えれば、分かることだと思うんだけどなあ。


お受験とかで子供を自分の思い通りに操ろうとしてるのとかって、結局、自分が周りから評価されたいっていうだけの話じゃないのかな。『子供のため』なんて、完全に話をすり替えてるだけだと思うんだ。


『子供のため』って言っておけばいかにも<子供想いのよい親>そうに周りから見えるだろうからね。そう見えることを期待しての発言としか思えないよ。だって現にそれで上手くいかない事例があるんだから。


しかも、上手くいかなかったらその時は子供の所為にするなんて。


いやいやいやいやいやいや、おかしいでしょ?


上手くいかない事例がすでにあるんだから、どうしてそれから学ぼうとしないの? そういうことを学ぼうとしないというその姿勢が、もう、子供の事を考えてないっていう何よりの証拠だよね。


上手くいかなかった時のことを全く考えてないっていうのって、やっぱおかしいじゃん。本当に子供のためを思うなら上手くいかなかった時のこともちゃんと考慮に入れるべきじゃないの? 


<次善の策>も用意せずにただただ『自分の言うこと聞いとけばいい』って、いやいやそんな無茶苦茶な。


自分のやることは絶対に失敗しない間違いがないって思ってんのかな。上手くいかなかったら子供の所為にしておけばいいって思ってんのかな? だけどそれ、全然、『子供のため』じゃないよね? 


『子供のため』って言うんなら、全部、自分の責任にならないとおかしいんじゃないの? 自分が全部責任を負う形じゃないと 、おかしいよね。『子供のため』って言ってるんだから。


『子供のため』っていう言い方は、やっぱり自分が主体的にそれを自らの責任において自分の意思で行ってるって意味だよね。それにはどこにも、子供自身の<意見>や<意思>は含まれてないよね。


子供が自ら望んだことを手伝ってるっていうだけなら、『子供のため』っていう言い方は、何かニュアンスが違う気がする。


まあこれも私の感じ方の問題なんだろうけどさ。それでも、『子供のため』ってのは、どうにも、『そう言っておけば自分が周りからいい親のように見てもらえる』ってのを期待してるようにしか思えないんだよね。


もし上手くいかなかった時には、ちゃんと フォローする、次善の策を用意してる、子供の所為にはしない。とかだったらまだ分からなくはないんだけどさ。


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