確かに、世の中には、<育ててもらった恩を感じる親>ってのもいると思う。でもそれは結局、その人の親が、恩を感じるに値する親だったっていうことでしょ?

確かに、世の中には、<育ててもらった恩を感じる親>ってのもいると思う。


でもそれは結局、その人の親が、恩を感じるに値する親だったっていうことでしょ?


だけど世の中には、建前を抜きにして、体裁を別にして、本当の本音だけで言えば、親を信頼も尊敬もしてない確かにいるじゃない。


『親を信頼して尊敬するのは当たり前だ!』


って言うかもしれないけど、じゃあそれをそれを言う人は、


『目上の人間を敬うのは当たり前』


っていうのを本当に守ってるの? 私より年下だった場合、私を目上の人間として敬うの? 敬えるの?


ネットで関わり合いになることになった相手はもしかしたら目上の人間かもしれないよ? そう考えてちゃんと敬語を使ってるの? 使うことができるの ? 


『そんなの目上かどうかわかんないだろ!』


とか、


『分からなければ目上として扱わなくていい』


なんて、ずいぶんと自分にばっかり都合のいい解釈だよね。


てか、自分より目上の有名人とかに対して暴言を吐いたりタメ口を聞いたりなんてしてるんじゃないの?


おかしいよね。『親を信頼して尊敬するのが当たり前』なのなら、『目上の相手を敬うのも当たり前』のはずでしょ?


なのに、『親を信頼して尊敬するのは当たり前』というのだけは是認して、『目上の人間を敬うのは当たり前』っていうのは無視していいとか、ずいぶんと甘えた考え方だよね。


<敬えない目上の人間>がいるなら、<信頼も尊敬もできない親>ていうのがいるのも当たり前なんじゃないの?


<敬えない目上>がいるのなら、<信頼も尊敬もできない親>だっていて当然じゃん。何しろ、その、<敬えない目上>がそれこそ<親>だったりすることもあるわけだろうし。


こう言うと今度は、


『親は子供を養ってるだろ!』


とか言うかもだけど、育てるのが嫌だったら、親権を放棄して養子にでも出せばいいじゃん。それとも、


『生んだ子供の親権を放棄して養子に出すのは体裁が悪い』


とでも言うの?


自分の体裁のために子供を育てるって言うのなら、それは子供のためじゃないよね。親自身のためだよね。親自身のためにやったことで子供に恩を売るって、どういうこと?


自分の都合で勝手に生んでおいて、自分の体裁を守るためだけに子供を育てて、その上で子供に恩を売ろうとする?


そんなの、徹頭徹尾、自分のことしか考えてないじゃない。


それのどこに、<子供への愛情>があるっていうの?


『<無償の愛>こそが尊い』


とか言うつもりもないけど、だからと言って自分の都合や体裁しか考えてないのとか、信頼されたり尊敬されたりするっての?


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