自分の身を守るためには<建前>を振りかざしつつ、相手が自分よりも非力だったり立場が弱かったりすれば途端に<人に優しくという建前>を放棄すんの?
なんか最近、ずっと読者とか視聴者側にとって耳の痛い話ばっかりしてるように思うかもしれないけど、これ、具体的な主語をそれぞれの立場のものに置き換えて考えてみると、だいたいどこにでも当てはまることだと思うんだよね。
その上で改めて話をすると、私も、出版業界や出版社に対してはそれなりに思うことはあるし言ってもきたけど、これも結局は、
『大人として恥ずかしくないの?』
って話なんだよ。
なるほど大人として<建前>は大事だと思うよ?
だけどさ、『大人として建前が大事だ』って言うならどうしてそれを貫かないの?
『大人として建前が大事だ』と口にしてその舌の根も乾かないうちに、
『自分よりも非力だったり立場が弱い相手には高圧的に威圧的に横柄に振る舞う』
なんてことすんの?
『人に優しく』
とか言ったりするよね? それがただの<建前>でしかないとしても、『大人として建前が大事だ』って言うなら、どうしてその建前を貫かないの?
『大人として建前が大事だ』として、
『<金のためという本音>は表に出さず、<読者のためという建前>を貫く』
のなら、どうしてそれ以外の建前もちゃんと貫かないの?
自分の身を守るためには<建前>を振りかざしつつ、相手が自分よりも非力だったり立場が弱かったりすれば途端に<人に優しくという建前>を放棄するのはなぜ?
こう言われて、
『人間なんてそんなもんだ!』
と開き直るのなら、
『綺麗事の建前を振りかざしてるだけの奴が偉そうにすんな!』
って言われても仕方ないと思うけど? それでなんで信用される信頼されると思うの? 自分の身を守るためには<建前>を振りかざしつつ、相手が自分よりも非力だったり立場が弱かったりすれば途端に<人に優しくという建前>を放棄するなんて、信用も信頼もできないような振る舞いをしておいて、それで、
『信用しない信頼しない方が悪い!』
とか、よく言えたもんだよね?
こんなことを言ってる私自身、『建前を貫く』なんてことできないから、子供達に対して偉そうなことは言わないんだよ。
それと同時に、
『子供達が私の普段の言動を学び取る』
と思うからこそ、建前とか関係なしに、子供達に対して高圧的に威圧的に横柄に振る舞ったりしないようにしたんだよ。子供達が自分より弱かったり立場が下だったりする相手に高圧的に威圧的に横柄に振る舞ったりしてほしくないからさ。
そして何度も言うように、これは<躾>じゃない。<躾>なんかする必要もない。親が手本を示せば、子供はそれを真似てくれる。後はちょっとだけ補足説明をすれば済む。
で、出版業界や出版社の話から入ったのに、最終的に躾の話になる。
これって結局、繋がってるんだよ。
『人間が普段どういう態度で社会と関わるか』
ってこと自体が、<親の真似>が根っこにあるからね。
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