世の中にはあるよね。<『辛い経験をした分だけ他人に優しくできる』神話>みたいなのが。いや、そう思いたいのは否定しないし悪いことだとも思わないよ。ただ、それじゃ『言葉が足りない』ってだけでさ

世の中にはあるよね。


<『辛い経験をした分だけ他人に優しくできる』神話>


みたいなのが。


いや、そう思いたいのは否定しないし悪いことだとも思わないよ。ただ、それじゃ『言葉が足りない』ってだけでさ。


そういうのは正確には、


『辛い経験をした人が誰かから優しくしてもらえたら、自分がしてもらえたことを他の誰かにもできるようになる可能性がある』


ってことじゃないかな。


だってさあ、辛い経験をした人がそのまんま他人や世の中を恨んで暴走するってことも現にあるじゃん。


じゃあ、そうやって暴走する人と他人に優しくなれる人の差はどこで生まれるんだ? って話でさ。


そこで『本人の性格の違い』とかってするのは、はっきり言って怠惰だとしか思わない。


『面倒なことをしたくない考えたくないからそういうことにしたい』


ってだけだとしか思わないんだよ。


性根はドクズな私がこうやって正気を保ってられるのは、結局、さくらがいてくれたことをはじめとした周囲の環境があってのことだという実感しかないんだ。


と、<さくら>ってのは、私の担当編集のことね。もしかしたら言ったことあるかもしれないけど、念の為。


彼女がいてくれたからこそ、私は大きく道を踏み外さずに済んだだけ。その実感があるから、『本人の性格だけで決まる』なんてのが信じられない。


実際、私以上にヤバイのが、状況によって大きく変わるのを目の当たりにしてるしさ。


もちろん、そういうのも、


『本人が何一つ努力しなくても周囲がどうにかしてくれる』


ってわけじゃないのも分かってる。本人の努力が何より必要なんだってのも分かってるよ。ただ、本人に『努力しよう』と思わせるのは、やっぱり周囲の環境の影響が大きいってのも分かるんだ。


私が知ってる事例については、まさしくそれだった。本人に自分を抑える努力をさせるきっかけは、周囲にこそあったんだ。


その人の実の親がそれこそもう本当にどうしようもない<悪党>で、その人は地獄そのものの幼少期を送ってきた。それこそ、『自分が生きるためには何をしてでも』ってのがリアルに必要な環境だったんだよ。


そしてその人は、


『辛い経験をした分だけ他人に優しく』


なんてできなかった。そんな発想が持てるようなきっかけそのものがなかったしさ。


そういうのを知っちゃうと、『辛い経験をした分だけ他人に優しくできる』なんて、どうしたって言葉足らずにしか思えなくなるんだ。


それを信じたい人は信じててもいいかもだけど、それに当てはまらない実例が降りかかってきたらどうするのかな、とは、思うかな。


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