『私はこんなに可哀想なんです。だから私は悪くない』とか考えて、『<可哀想な母親>を演じてた』ってのだったらどうする?

そうだね。


『悪いのは私じゃない。周りの人間が悪い、社会が悪い』


<息子がとんでもない不良になった母親>


が、もし、そんな風に考えてるのだったらどうする?


『私はこんなに可哀想なんです。だから私は悪くない』


とか考えて、


『<可哀想な母親>を演じてた』


ってのだったらどうする?


そんな母親を見て、


『自分は悪くない。自分がグレたのは周りの所為、社会の所為』


って考えてるようなのに育ったら、完璧に母親の考え方をコピーしてるじゃん。


で、多少、腕力に自信があったら、


『自分を攻撃しようとしてる社会に抵抗してるだけ』


みたいに自分を正当化したりしない?


てか、ネットで日がな一日、他人を罵りまくってるのも、それだよね?


『周囲が、社会が、自分を攻撃してくるから反撃してるだけ』


みたいな理由でやってんじゃないの?


『一見、<いい人そうに見える親>の子供がグレたりする』


のって、結局、そういうことだとしか思わないよ。


自分が子供を育ててるからこそ。


もちろん、やっぱり何度も言うけど親だってただの人間だから完璧じゃない。失敗もするしできないことだってある。


だけどさ、そういう『完璧じゃない』ことから子供が感じる不平不満を親がちゃんと受け止めてたら、他人に矛先が向くことはないんじゃないの?


『こんなに愛してるのに』


『こんなに頑張ってきたのに』


とか言って<可哀想な被害者>を親が演じてたら、余計にムカつかない?


『<可哀想な被害者>ぶってる奴とかムカつく!』


みたいに言ってるのだったら、理解できるんじゃない? 


『一見すると<いい人>そうに見える気の弱そうな親の子供がとんでもない<ワル>になる』


ってのがさ。


ああでも、私は別にそういう親を批判したいんじゃないんだよ。そうじゃなくて、


『<結果>には必ず<原因>がある』


っていう現実から目を背けてるのがおかしい。と言いたいだけなんだ。


だいたい、そういう親を責めたって問題は何も解決しないと思うよ?


ますます<可哀想な私>に磨きが掛かるだけでさ。


結局、本人が自分を客観的に見られるようになるしかないし、でも、客観的に見られるならそもそもそんなことにはなってないだろうしさ。


だから私が言いたいのは、


『自分がそういうのになってしまわないように気をつけた方がいいんじゃない?』


ってだけのこと。


私自身に対してもね。


自分が子供達をこの世に送り出したという責任から目を背けたくないんだよ。


自分が子供達とこの世に送り出しておいて、それで自分の思うとおりにいかなかったからって、


『私はこんなに可哀想なんです。だから私は悪くない』


とか言いたくないってだけなんだよ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る