『他人を罵るのは良くないことだ!』『罵られた側の気持ちを考えろ!』って言われて、ネット上に罵詈雑言書き込むの、やめられんの? ねえ?

改めて言うけど、


『他人を罵るのは良くないことだ!』


『罵られた側の気持ちを考えろ!』


って言われて、ネット上に罵詈雑言書き込むの、やめられんの? ねえ? 


やめられんの?


ねえ?


ねえ?


やめられないから、いつまで経ってもそういうのがなくならないんじゃないの?


だったらさあ、分かるよね?


『他人に迷惑をかけるくらいなら、一人で死ね!』


なんてのが、効果あるかどうか。


てか、本当はそんな効果があるとか、自分でも思ってないんじゃないの? それを言い訳にして、ただ自分が憂さ晴らししたいだけなんじゃないの?


そんな<ただの憂さ晴らし>のどこに正義があるの?


しかも、それが憂さ晴らしに選ばれるということは、そこを突けば的確にダメージが与えられるってのが、<社会に復讐したい輩>にモロバレだよねえ?


そうやって憂さ晴らししてるのを批判されると、今度は、


『犠牲者や遺族の気持ちを考えろ!!』


って、犠牲者や遺族を盾に使おうとするけど、いやいや、自分の憂さ晴らしを正当化するために犠牲者や遺族を持ち出すという発想こそ、


<人でなし>


ってもんじゃないかなあ。


もちろん、私のダンナ…はまあ大丈夫だろうけど、娘が犠牲になったりしたら、加害者に対しては、


「殺す! 絶対に殺す!!」


と確実に思うだろうね。てか、思わない理由がない。


だけどそれでも、赤の他人がそのことを、


<憂さ晴らしのためのネタ>


にするのも同時に、


『ふざけるな!!』


みたいに思うだろうね。


でもなあ、遺族として、


『私達の不幸を自分の憂さ晴らしに利用するな!』


って気持ちを素直に表明すると、今度は、


『お前らのために怒ってやってるのになんだその態度は! この恩知らず!!』


って叩かれるのも、火を見るよりも明らかだよね。


同情してる(フリをしてる)遺族が自分達の思う、


<可哀想な遺族>


じゃなかったら、遺族だって叩くんでしょ? 


そういう光景、これまでだって散々見てきたよ? 


『自分は可哀想な被害者や遺族のために怒れる正義の人だ』


って思いたいのかもだけど、そんなことしてる暇があるなら、自分の家族や身内が誰かを傷付けたりしてないか、精神的に追い詰められてヤバい状態になってないかどうかちゃんと確かめて、もしそういうことしてたらなってたら対処するのが先じゃないの?


それでやめさせられないんなら、いよいよ、


<可哀想な被害者や遺族のために怒れる正義の味方ごっこ>


には何の意味もないってことだよね?


自分の家族や身内すら止められないのに、どうして見ず知らずの赤の他人の暴走を止められると思えるの?


ましてや、


『なんで自分がそこまでしなきゃなんねーんだ!?』


とか思うんなら、


『他人に迷惑をかけるくらいなら、一人で死ね! と罵ることで、事件を起こそうとしてる輩を思いとどまらせる』


なんてことをしなきゃならない理由もないでしょ?


違う?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る