世間じゃそういうのを、<逃げ得>って言うんじゃないの?

親が子供に与える影響についての話で、


『学校に行ったら教師とかいるじゃん! そっちの影響は受けないのかよ!?』


みたいなことを言うのって、


『なに? 親の尻拭いを教師にさせる気?』


としか思わないよ。


そう。親の<ヘマ>が子供の人格形成に悪い影響を与えたのを他人がフォローできるしてもらえると考えること自体がもう<甘え>じゃん。


他人が尻拭いをしてくれること前提の話とか、ドヤ顔で言うこと?


だいたいさあ、学校は<教育機関>であって<養育機関>じゃないよ? ヘボい親の尻拭いをしてくれる場所じゃないんだよ? 学校を何だと思ってんの?


親が子供の人格を歪めたのを周りの人間や学校の教師に尻拭いさせて帳尻合わせようとか考える責任感のなさを子供が見倣わないとでも思ってんの? ねえ?


『子供が歪んだのは自分の所為じゃない!!』


とか言って『自分は悪くない!』と責任逃れする親の子供が、


『自分がこんなになったのは親の所為だ! 自分は悪くない!!』


みたいに言ってたら、それこそもう親と瓜二つじゃん。完全な<コピー>じゃん。


ちゃんと自分の責任と向き合える親を見て育った子供は、『自分がこんなになったのは親の所為だ! 自分は悪くない!!』なんて、たとえつい口にすることはあっても本気では思わないんじゃないの? 


『自分がこうなったのは間違いなく親の影響だけど、配られた手札に文句をつけても始まらない。自分にできることを模索するだけだ』


くらいのことは考えられるんじゃないの?


責任と向き合う親を見てたんならさ。


それができないってことは、まあ、そういうことなんだろうね。


私は、自分の子供達に決して小さくない<ハンデ>を背負わせてこの世に送り出してしまった。それは紛れもなく私の<エゴ>だ。この事実に目を背けるつもりはないよ。


そのハンデに子供達が心折れたとしても、それ自体、私がこの世に送り出さなけりゃ起こらなかったことだ。


だからもし子供達に、


『一生、面倒を見ろ!』


って言われたら面倒見るよ。


だけど、私の子供達はそれを言わないんだよなあ。だって、自分の人生を自分で歩もうとしてるから。


<自分の人生を歩める力>


を養ってきたから。


自分の子供に、<自分の人生を歩める力>を付けさせるのはそれこそ親の役目じゃないの? それができないってことは身に付いてないってことで、まだ役目が終わってないってことじゃん。


『二十歳過ぎたら自分の力で生きていけ』


なんて、要するに、


『子供が二十歳になるまで何とか適当に誤魔化せたらもう責任取らなくていいよね』


って考える輩にとってはただの<免罪符>じゃん。


世間じゃそういうのを、


<逃げ得>


って言うんじゃないの?


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