自身の攻撃性を隠そうともしない人間

ところで、ちょくちょく話題になる、


『<小児性愛>という性癖に市民権を認めるか?』


って話について、あくまで私の個人的な見解を述べるとすれば、


『市民権を認めるということには、正直、抵抗は覚えるけど、だからといって『小児性愛者は皆殺しにしろ!』なんてのには絶対に賛同しない』


って感じかな。


私にも娘がいて、下の子はまだ小学生だから、あの子がそういうのに狙われてるってなったら全力で対処するつもりだけど、たとえば、フィクションだけで抑えてる人までどうにかできるか?ってことだと、


『そんなの、どうにもできるわけないじゃん』


という現実的な視点を持つしかないんだよね。


だってさあ、フィクションの中の少女に劣情抱いたって、『被害者は生まれない』ってのが現実だよ? フィクションの中の存在は、現実じゃないんだからさ。


そっちだけで収まっててくれるなら、私としてはどうも思わないよ。<生理的嫌悪感>は別として。


で、こう言うと、


『自分の娘の担任が小児性愛者だったらどう思う? フィクションだけで抑えられてるって言われて安心できるか!?』


みたいに言うのもでてくるんだけど、いや、気分的な問題だといい気はしなくても、ちゃんと抑えててくれるなら、それを表に出さないなら、どうにもできないってのは現実じゃん。


他人の頭の中身を覗くことができない以上はさ。


それ以上に私が嫌なのは、自分の攻撃性を抑えようともしない人間だよ。フィクションの中だけで抑えられてる小児性愛者よりも、自分の攻撃性を隠そうともしない、それどころか正当化しようとしてる人間の方がよっぽど危険だと感じるけど?


それこそ、何されるか分かんないし、<実際に目に見える危険>だよ。


<自分の性癖を抑えられてる担任>


と、


<自分の攻撃性を隠そうともしない担任>


のどっちの方が嫌か?って話だったら、圧倒的に後者だよ。


私が小学校の頃にも、ヒステリックな女性教師がいたけど、私はその先生が大嫌いだった。自分の主観だけで物事の善悪を決めて押し付けてくるし、気に入らない生徒には本当に些細なことで体罰、お気に入りの生徒は露骨に贔屓だったしさ。


どっちが実害あるかって言ったら、間違いなく、


<自分の攻撃性を隠そうともしない担任>


じゃん。娘の担任がそんなのだったら、それを学校が改めないって言うんなら、私は、


『自分の子供を<理不尽な暴力>から守るために転校させる』


よ。


親としてね。


<小児性愛>ってのが好ましくない性癖だってことについては、私も異論はないよ。可能であるならなくなってほしいとは思う。


でも、そう思うことと、それを理由にして小児性愛者を迫害するってのはイコールじゃないんだよ。


だって、その小児性愛者だって、<どこかの誰かの子供>だったんだよ? 


それどころか、自分の子供が小児性愛者になる可能性だってあるんだよ?


自分の主観だけで他人の子供を迫害したりこの世から排除しようとか、そんな、


<自身の攻撃性を制御しようともしない人間>


に賛同なんて、私はできないよ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る