楽な方に惰性で進んじゃった

『人生の中には自分の信念を曲げなきゃいけない時期がある場合もある』


については、まあ事実なんだけど、でも、気を付けないといけない部分もあると思う。


『自分の信念を曲げなきゃいけない時期がある』ってことを言い訳にして、信念を曲げなくていい、曲げちゃいけない時まで楽な方に流されてってのをしちゃうことがあるからね。


てか、あるでしょ?


『子供の頃に、『こんな大人にだけはならない』と思ってた大人に、自分がなっていた』


ってやつ。それって結局、信念を曲げなきゃいけない時期があって、でも、その時期を過ぎても、自分の信念を取り戻すのが大変で辛くて、楽な方に惰性で進んじゃった。ってことだと思うんだよね。


これじゃ、子供に対して手本にならないと思うんだよ。


<悪い見本>にはなるかもだけどさ。<反面教師>にはなるかもだけどさ。


だけど、同じなるなら、<手本>になりたいじゃん。なる努力はしたいじゃん。


もちろん、努力したってできるようにならないことって確かにあるよ? 私も、家事とかは、全然、上手くならないしさ。ダンナの方が圧倒的に上手いしさ。だから家のことはダンナに任せっきりだったりするから、正直、<母親>としては<悪い見本>だと思う。


それでも、


<他人を平気で傷付けるような悪い見本>


にだけはなりたくないんだよ。


『子供を守る』っていう大義名分の下に他人を傷付けるような大人には特に。


人間ってのはね、みんな、<誰かの子供>として生まれてくるんだ。少なくとも、今の現実では、誰一人、例外なく、最初から大人として生まれてくるわけじゃない。


『子供を守る』ってのは、


『大人を攻撃していい』


なんてのとイコールじゃないんだよ。大人を攻撃するためのダシとして『大人は子供を守るもの』って理屈を使われるのを見るのは、すごく不快だよ。


私は決して、誰かを攻撃するための根拠としていろいろ考えてるんじゃない。親に対して厳しいことを言ってたとしても、それは攻撃するためじゃないんだ。親を攻撃するための口実を与えたいんじゃないんだ。あくまで、親自身が、自分を見詰めなおす、客観視する機会のためなんだ。


他人をただただ攻撃してるだけで問題が解決するわけじゃないのは、政治とかを見てても分かるじゃん。野党が<攻撃>してるだけで何か決まる? 問題が解決する? グダグダと時間ばっかり費やして結局何も決まらないってのを、ずっと見てきてるじゃん。なんでそこから学ばないの?


念のために言っとくけど、これは別に政治的な主義主張じゃないからね? 単に、


<相手を攻撃することそのものが<目的>になっちゃって何も決められないダメな見本>


という意味だから。


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