そんな幸せが認めてもらえると

『何が<幸せ>かなんて、人それぞれだろ!』


って?


でも、それ、本気で言ってる? 他人が楽しんでるフィクションにケチをつけて嫌な思いをさせるのが<幸せ>って、そんな幸せが認めてもらえると、本気で思ってんの?


それを是とするのなら、自分も同じ目に遭わされても、当然、認めるんだよね? 自分が楽しんでるものを他人に貶されて腐されて蔑まれても仕方ないって思えるんだよね?


もし、そう思えないのに、自分は他人が楽しんでるフィクションをコキおろしていいとか思ってるのなら、それはただの<自分勝手>ってもんだよ? 自分はそんな自分勝手が認められて他人には許さないとか、いったい、どんな権限があって言ってんの?


私はそんな権限持ってないから、他の人の作品を貶したりしないの。


私の好きな作品を貶されたくないからね。


『他の奴はやってるのに、自分だけが我慢するとかおかしい!!』


って言うかもだけど、逆だよ。


『本当は好ましくないことを他の人はやってるけど、だからって自分はやらない。だってそれは<好ましくないこと>だから』


ってことだよ。


『他人もやってるから自分も』


なんてのは、何度も言うけど、


『他人の所為にしてる』


ってことだからね?


犯罪とかで容疑者が、被害者や社会の所為にしてたら、


『他人の所為にするな!』


『社会の所為にするな!』


って言ってるでしょ? それを言うなら、自分だって、


『他人もやってるから自分も』


なんて、<他人の所為>にしちゃいけないよ。


『不味いラーメンを不味いと言えないのとかおかしい!って言ってる奴もいるじゃん!』


とか、他人の所為にしちゃいけないよ。


自分が『他人の所為にするな!』『社会の所為にするな!』って言うんだったらね。


ただ、この世界ってのは、すべからく、


『原因があってこそ結果がある』


のは事実だから、<原因>について考察するのは必要なことだと思う。だけど、それを<他人を攻撃するための言い訳>に使うのは単なる卑怯だと思うんだ。


私の子供が『納得いかない!』ってもし言うのなら、納得いくまで丁寧に説明するよ。私自身の行いで示すよ。


その手間を惜しんで何が、


『親としての責任は果たした!』


だよ。


子供が自分の言葉に耳傾けてくれないなら、耳を傾けてもらえるような人間になるように努力するよ。


親なら、大人なら、そういう努力を子供に対して示さなきゃって思うよ。


だらしくなくても、世間的には立派な働きはできなくても、自分の勝手でこの世に送り出しちゃった自分の子供に対しては責任を果たしたい。


それに、何か不平不満があっても、丁寧に耳を傾けてくれる人がいれば、いきなり他人を攻撃しなくても済むと思うしさ。


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