攻撃的なやり方で自分の目的を

『世界は自分だけのために存在するんじゃない』


『人類の歴史上、どれだけの英雄、どれだけの偉人、どれだけの賢人が<理想の社会>を築こうとどれほどの努力を重ねてきたか』


それを考えたら、自分が社会を、世の中を、自分の思うように変えてしまえると考えるなんて、どれだけ思い上がったものか分かるんじゃないの?


もちろん、より良い社会を目指して努力するのは尊いと思う。大事なことだと思う。


だけどさ、それをするにしたって、誰かを罵って貶めようってやり方は違うんじゃないの?


フィクションの表現や展開にケチをつけてっていうのは、違うんじゃないの?


少なくとも私は、攻撃的なやり方で自分の目的を果たそうとするのは、テロリストの発想だと思うけど?


自分の子供にそんなやり方をさせようとする親がいたとしたら、『どうかしている』と私は思う。


自分の子供が他人を傷付けようとすることを容認したり推奨する親は、『自分の子供を不幸にしたいの?』って思うんだ。


冷静に客観的に俯瞰的に世の中を見てほしい。他人を傷付けようとする人が本当に幸せを掴めるのか。


他人を傷付けてきた人が、もし、幸せそうにしてたとしても、それは本当に<幸せ>なのか。『幸せそうなふりをしている』だけではないのか。


ああでも、


『幸せそうなふりをできるのは、それはもう幸せなんだ』


と思ってる人には、<幸せ>に見えるのかな。


私は、今、私のことを愛してくれる夫と、『他人を敬う』ことができる子供達と一緒にいられて幸せそのものなんだけど、そういうのを経験したことがない人には、


『幸せそうなふりができるだけでも幸せ』


って感じてしまうのか……


それは、悲しいな。


じゃあやっぱり、自分の子供にはちゃんと幸せを味わわせてあげないと何が幸せなのかも分からなくなるってことじゃん?


自分の存在を無条件に受け止めてもらえて、自分がこの世に生まれてきたことを認めてもらえて、許してもらえて、ってしないと、それがどれほど幸せなことなのかも知ることができないから、<幸せの基準>ってものが本人の中にできないってことじゃないの?


それを知らないから、


『他人を攻撃しまくってでも幸せになれる』


とか、思っちゃうんじゃないの?


だとしたら、ものすごく悲しいよ。何のために生きてるのかも、分からなくなるかもしれない。


私はね、幸せになってもらうために子供達に来てもらったんだ。だから、


『他人を見下して蔑んで貶して腐して痛め付けてってして得られる幸せなんかない』


ってことも知ってもらわなくちゃいけない。


他人が楽しんでるフィクションにケチをつけて得られる自己満足を<幸せ>だと勘違いしてほしくないんだ。


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