どうにか適当にやり過ごして

『人間なんだから上手くやれないことだってある。それは大目に見ろ』


って言うんだったらさ、どうして、未熟で経験も少なくて上手くやれないことの多い子供のことは大目に見られないの?


自分が大目に見られたいなら、まず、自分以外の誰かの『上手くやれない』部分について大目に見るべきなんじゃないの? 


『他人が自分を大目に見てくれないから自分も見ない!』


なんてのは、完全に、<他人の所為>にしてるよね?


その上で、私は、自分の子供が何か大変なことをやらかしちゃった途端に、


『自分達も被害者です!』


的な顔をする親がいるなら、ものすごく情けないよ。


そうじゃない。そうじゃないんだ。どんなに言い訳並べたって、子供をそんなのに育てちゃったのは、親である自分なんだよ。


何度も言うけどさ、


『子供が成人したら、親の責任は問うべきじゃない』


なんて理屈を認めちゃったら、それこそ、


『子供が成人するまでどうにか適当にやり過ごして<逃げ得>かましちゃえばいい』


みたいなことを考えるのが出てくるかもって思わないの?


本当にそれでいいの?


両親が共に<普通の人>でも、その<普通の人>そのものが、決して<聖人君子>じゃないよね? そんな両親の<よろしくない部分>が相乗効果を生んじゃって、凝縮されちゃって、子供がモンスターみたいのに育っちゃうんだって、どうして思えないの?


そんなに、自分が勝手に子供をこの世に送り出した責任から逃げたいの? 親がそんなだから、それを見倣った子供が、何もかも他人の所為にして気に入らないことがあれば攻撃するような人間になっちゃったと、どうして思えないの?


もちろん、全部の子供がそうなるわけじゃないのも事実だよ。だけどさ、


『そうならないのは、<そうならない要因>があったからだ』


とは、思わない?


私の子供達が他人に対して攻撃的じゃないのは、相応の理由があるからだよ。


そして私と私の夫は、<そうならない要因>を意図的に意識して作り出してきたんだ。


できるんだよ。


<自分の子供をモンスターにしない要因>


は、自分で作り出すことができるんだ。


それを作る努力もしないで、


『できるわけない!』


とか言ってる人にはできないかもしれないけどさ。


でもね、私みたいなロクデナシにだってできることなんだよ。


要は、『やるか』『やらないか』の違いだけ。


『そんな面倒臭いことはしたくない』


とか思っちゃったら、できないだけ。


『自分の親はやってくれなかったのに、どうして自分がそんなことしなくちゃいけないんだ!?』


とか思っちゃったら、できないだけ。


そうやって<自分以外の誰かの所為>にしちゃってたら、できないだけなんだよ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る