仕事で同じこと言ったら

<親>はさ。少なくとも年齢的にいえば<大人>のはずだよね? 子供よりずっと長く生きて、人生経験も積んできてるはずだよね?


じゃあどうして、子供が人生に躓いた時に、<人生の先達>として力になってあげないの?


子供が直面してる問題について、どうして一緒に考えて問題解決のための道標を示してあげないの?


『自分は教えようとした! でも子供がその通りにしないだけだ!!』


って? それ、仕事で同じこと言ったら、上司に何て言われるかなあ?


『自分はちゃんとプレゼンした! でも先方がそれを評価してくれなかっただけだ!!』


とか言ったら、


『なに子供みたいなこと言ってんだ!?』


とか言われたりしない?


で、こう言うと、


『<仕事>と<育児>を一緒にするな!』


なんて言ったりするんだろうなあ。


でも私は逆に訊きたいよ。


「どうして<仕事>と<育児>をまったくの別物って考えるわけ?」


ってさ。


だってそうでしょ? 仕事だって育児だって、<人間相手>にすることじゃん。基本的には。まあ、中には動物が相手だったりする仕事もあるだろうけど、でもそれだって、<その動物を人間にとって何らかの役に立つようにする仕事>だよね? 結局は人間のためにすることだよね? 


<自分以外の誰かとの関わり合い>


じゃん。相手との信頼関係を構築し、それによって双方に利になることを目指すんでしょ?


子供を育てるのだってそういうことじゃん。


で、こう言うと、


『子供からは金なんか貰わねーし!』


みたいに言うかもだけど、何も相手から直接お金を貰う仕事ばっかりじゃないのよね? 公立の学校の教師とかは、生徒から直接お金貰ってるわけじゃないじゃん。公務員なんだから。税金から給料支払われるんだし。それこそ、<子供もいない人からも徴収した税金>からね。


それに、子供を育てて自分の老後の面倒を見てもらおうとか思ってるんなら、それ、直接お金を貰う形じゃなくても、何らかの<リターン>を得るためにやってるってことになるじゃん?


だとしたら仕事と何が違うの?


私はさ、<子供を育てる>ってのは、


<自分が育てた子供を社会に送り出すこと>


だと思ってる。社会を構成する人材を育てることでもあるんだよ? それだけ社会に影響を与える<務め>じゃん。それをどうして<仕事>より軽く考えられるの?


まっとうな責任感を持ってる人ならそんな考え方しないと思うけど?


たとえ、<仕事>と<育児>は別のものだと見做すとしても、


『<育児>が<仕事>より軽いもの』


だなんて、<社会に与える影響>を考えたら、とても言えないよね?


『<仕事>と<育児>、どっちが重要?』


みたいなことを言うつもりはないけど、少なくとも育児を軽んじてる人を信用できるとは思わないな。


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