私にとっての幸せは

私にとっての幸せは、<平穏>の中にこそある。


『楽しい』とか『面白い』とかじゃないんだ。心穏やかにいられてこその幸せなんだ。


でもね、平穏は、<退屈>とは違うんだよ。


よく、


『穏やか過ぎる日々に退屈してしまうキャラクター』


とかが描かれることがあるけど、穏やか過ぎることに退屈してたり鬱々としてたら、それはもう<平穏>じゃないよね。


だけど私は、毎日がとても楽しい。『楽しいから幸せ』なんじゃなく、『楽しいけど平穏』だから幸せなんだ。


刺激を求めるのは本人の自由だから好きにすればいいと思う。


ただ、それを他人に押し付けたり絡んでくるのはやめてもらいたいな。


って思ってる人が多いから、刺激を求めて他人にウザ絡みするのは疎まれるんだろうなあ。


私も好きじゃない。


しかも、フィクションのキャラクターがウザいからってキレたおす人も何だかなあって思う。


だってフィクションなんだし、大抵はそういうキャラクターとして意図的に描いてるだろうし、それに対してムキになるのってどういう心理なんだろう?


私の子供達は、ムカつくキャラクターが出てきたって、


『うっわ~っ! ムカつく~!!』


ってツッコむだけで、リアルでまでキレたおしたりしないからなあ。


って、前にもしたか。この話。


だけど、うん、改めて考えても意味不明なんだよ。フィクションの中のことをリアルに持ち出してまでキレるのとか。


他人が悪態吐いてるのとか見てていい気分じゃないことが多いんだよね。


なのに、その悪態に共感できちゃったりしたら同調するのもいたりするし。


マナーって、他人を不快にさせないようにするためにあるんでしょ? じゃあ、他人から見えるところで悪態吐いて不快にさせてたらもうマナーがなってないってことだよね。


ひいてはそれは、『親の躾がなってない』って話でもある。


ましてや、


『自分の親はちゃんとしてた!』


みたいに思うなら、いやいや、それこそ他人から見えるところで悪態吐いてたりしちゃダメでしょ。親はちゃんとしてたって言うなら、それを蔑ろにしてるってことだし、<親不孝>そのものじゃん。


私は常にそういうのを意識しながら作品づくりしてるから、たぶん、


『説教臭くてウザイ』


っていう評価になるんだろうな。


だけどそれは別にいいんだよね。読み手がどう受け取るかは、読み手の自由だからさ。


ただ、言葉を選ばずにそれを他人から見えるところに出したら、不快に感じる人も出てくるって話。


たとえ誰かが不快になるのが分かってても言わなきゃいけないことだってあるのは当然だけど、せめて丁寧に説明することは必要だと思う。


そうなると、当然、長くなるんだよね。


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