実はそれが問題を作ってる
私はさ、現実に向い合いたいんだよ。私が創作を続けるのは、現実から目を背けるためじゃない。
『現実とは何か?』
を、文章に書き起こしてみて、自分でそれを読み返す行為の副産物としての一面もあると、自分では思ってる。
親に対して厳しいことを言うのは、自分の甘えた部分に対するツッコミだから。自分の感情ばかり吐き出すことを優先して『実はそれが問題を作ってる』っていう現実から目を背けたくないから。
人間はさ、
『自分に都合の悪いことは見たくない』
『自分こそが何よりも優先されたい』
『自分の<気持ち>こそが正当なものって思いたい』
生き物であることは事実だしそれが現実だと思う。
だけどさ、
『そんなことは通らないのが現実』
なのは事実でしょ? まさかその事実さえ認めたくないっての?
カッとなって子供を怒鳴っちゃった行為が何らかのマイナスの影響をもたらす可能性を想定することさえ認めくないって言うの?
自分より間違いなく弱くて抵抗すらままならない子供を一方的に叩くことが何らかのマイナスの影響をもたらす可能性を想定することさえ認めたくないって言うの?
仕事で、自分が進めようとしてるプロジェクトのデメリットやマイナス面について想定することはしないの?
そういうデメリットやマイナス面を想定しない人が進めたプロジェクトが何をもたらしたか、考えることもしないの?
盲目的に、
『親は正しい』
『親は間違えたりしない』
ってのを前提に考えてて本当に大丈夫だなんて、本気で思ってるの?
それでこれまで何が起こってきたか、考えもしないの?
<絶対に間違えない人間>
なんて、現実に存在するとでも本気で思ってるの? 私に言わせればそんなの、
『フィクションと現実の区別がついてない』
ってもんなんだけどね。
それに、フィクションを現実から目を逸らすための隠れ蓑に使われるのも、正直、いい気分じゃないんだよね。
フィクションはあくまで、<余興>。現実世界で生きる間の<息抜き>。
ただ気楽に楽しむのがフィクションの本質だと思うんだよね。
フィクションをダシに現実で暴れるのも大概にしてほしいよ。甚だ迷惑。
『親は間違えない』『親は失敗しない』なんてのが本当なら、こんなに、ネットで他人に迷惑掛けまくるのがいるわけないじゃん。
『親も人間なんだから大目に見てほしい』
とか言うのなら、間違ったり失敗したりするのも当たり前ってのも認めなきゃおかしいじゃん。
そして、間違ったり失敗したのなら、それを反省して改めていかなきゃおかしいじゃん。
自分のやった『子供を怒鳴ったり叩いたり』ってのが、本当に、ただの八つ当たりや憂さ晴らしじゃないのかどうか客観的に考えることができるのが<大人>ってもんだと私は思うんだけどね。
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