GAME

 俗に「ガメる」というが、これが「ガメつくがっつく」というような意味であることは、よく考えなくても分かりそうなものだが、学校教育で骨抜きにされて?

自分で考える癖の無かった僕はそこいらへんに意識的になるという発想が無くて、気が付かなかった。

 それは本題と関係ないマクラですが、人生における様々な要素を、「ゲーム」として、寧ろ積極的に遊戯、でもなくて、やはり英語のニュアンスの「ゲーム」として考えるとうまくいくのではないかと、単なる思い付きだが思い立った。

 何事にも、一定の法則とか定石、がある。

 仕事、出世競争、スポーツは勿論、学問、経済、政治、美容、ファッション、恋愛、セクス、等々そこに例外は無い。

 無いと思う。

 で、ゲームだから最終的には他人に勝つことが目的である。といって、ルールと基本を知っているだけでは簡単には勝てない。勉強や熟練や運が必要である。

 どうでしょう、人生とゲームは見事なまでに相似形なのだ。

 人生をゲームとして考える、というと、日本人は真面目なので顔をしかめる向きがあるかもしれないが、これまで僕は、ゲームが好きなのに(好きゆえに?)人生をゲームとして戦略的に考え、狡く立ち回って勝ちに行く、という発想をインヒビッド(禁止)していたかもしれない、と考えるのです。

 くそまじめに正攻法で行き過ぎたのです。さっき考え付いたことで、書きながら考えているのですが、所詮、人生はゲームだ。そう突き放すことで、真面目に取り組みすぎることで病気になったりという倒錯的なことは免れうるかもしれない。所詮はゲームであり、ゲームオーバーが死である。理性的、客観的にゲームに勝つための行動を狡猾に設計していくという発想で、生きていくほうが、例えば、ドイツ観念論?みたいなものを亀鑑にするよりは結果がいいのではないか。

 留めおかまし大和魂、や、散るを厭う人にも世にも先駆けて、では現代人としては

今のままの敗残者の道まっしぐらで、もっとドライにこんな人生なんてたかがゲーム

みたいなもの、と割り切って、スーパーエゴのプレッシャーも振り切って、結果オーライで生きていこう、そういう姿勢が、袋小路から抜け出す道しるべになりはしないか…そうちょっと考えた次第です。

 かしこ。



(2013.12.12)

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