記憶力


(ブログネタ「眠い?」)



 春眠暁を覚えず、というのは確か、孟浩然(もうこうねん)という中国の詩人の漢詩だった。

 今も浩然の気、を相変わらず養っていて、で、眠いのだが、これを書き終えたら寝る。


「うる星やつら」に、生徒が眠くなる落第教室、というのがあって、実はそこには眠らせる仙人とその弟子の春眠という女の子がいる、という、例によって荒唐無稽で面白い話があったが、「春のうららの落第教室」というタイトルだったか・・・


 こういうえーと浮世離れした奇想天外な世界にこそ逆にノスタルジーを、これこそ吾が故郷、とかそういう感じが起こるのは何故かな?


 最近の漫画などは、セケンの厳しさを鹿爪らしく説いたりして、身につまされて、安らげない。


 人生論漫画も、それは必要ではあろうが、そればかりだとなんだか息が詰まる。

 人生が厳しい、やわな根性ではイジメ殺される。

 そういうことは生きていれば誰でもわかっていることで、漫画などを読むのはそういう現実からひと時でも逃避したいからではないのかなあ。

 それで、また明日から人生に立ち向かっていこうという気力を養えるのではないかなあ。

 そうも思うが、だからまあ、例えば、眠っている時に見る夢などは、僕の場合、現実の補償というか、現実だけではどうも自分のセルフが十全でない、どこか欠損部分がある。マンダラになっていない、ユングのいう個性化の境地に達したい、自分の人生を実現していく上でどうも今日の一日もやはりなんだか食い足りない、そういうときに夢はその欠けている部分を上手に埋め合わせてくれる感じがある。

 いつもではないが、夢というのはそのために存在している感じがある。


 記憶を整理する、というのが最近の主流の説らしいが、夢のあのただならぬイメージの鮮明さ、リアリスティックなインパクト。

 そこには何かがある、そう本能的に僕などは感じてしまうのです。

 本格的に夢を記録して夢分析はまだしたことが無いが、いずれはやってみたい。


 人生の三分の一は睡眠で、夢はその中のかけがえのない要素である。


 数限りない夢を今までに見てきたが、本当に神秘的な意味を持つ夢を沢山見てきたし、くだらない昼間の残滓の夢などはむしろ少数派である。


 眠り過ぎるのも健康には良くないらしいが、素晴らしい夢を沢山見れるのなら、起きている間の苦難ばかりの時間を我慢しているよりは、眠って豊穣な夢を沢山見ているほうが、人生のバランスシート、とかそういう観点に立ってもマシな気もするのです。


 小松左京さんの「眠りと旅と夢」という小説の、あの異化感覚、ああいう境地に至れたらなあ、そう思う・・・といってもこの辺は分かりにくいかもナア、読んでいない人には。



(2011.4.20)

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