最近誰とハグした?
ブログネタ:最近誰とハグした?
今日はハグの日だそうですが、あんまり連想が広がらない・・・
ハグは熟語でいうと「抱擁」ですが、親しかった女性が、ハグすることを僕が「抱擁」というので、「またホーヨーしてよ」と、面白がっていたりした。
渡辺貞夫のフュージョンの曲に「inner embrace 」というのがありますが、これは、「抱擁の中で」?というような意味だと思う。そういう感じの曲ですが・・・
日野啓三(だったかな)という作家の小説に「抱擁」というのがあって、思春期の少女が主人公なのですが、これは考えてみると、抱きしめたいほど可愛い無垢な少女の魂、と、そういうものを描きたかったのだと思う。
ちょうど川端康成さんが追い求めていたようなイメージだろうか・・・
そういうのは、ナボクフの「ロリータ」みたく一種永遠のテーマかもしれない。
谷崎潤一郎はマゾヒストで有名で、?「痴人の愛」などという小説を書いたけれど、美少女にもてあそばれたい、という願望だろうか、「幇間」という小説も書いている。
幇間というのは太鼓持ちのことで、「坊ちゃん」の野太鼓みたいな感じの人です。
その幇間が美少女の催眠術にかかった振りをしているうちに、裸に剥かれてしまう。
エッチな話なのですが、「ひどい言葉がうれしくってたまりません」とか、マゾヒストの心理を活写している。
セックスにおいてはこういう風に私はどうも痴れ者になる、と、いうそういう表現で、主人公はつまり谷崎さんの分身なのだ、と、そこら辺が昔はよくわからなかった。
「猫と庄造と二人の女」というのも、ちょっとマザコンみたいなひょうきんな男が主人公なのですが、これもつまり谷崎氏の人物像の一部を模写しているのですね?「細雪」の、貞之助、とかだと随分立派な父親像ですが、これも作者の似姿なのかと思う。
夏目漱石の小説の登場人物だと主人公から猫に至るまでやはりどれも相当な教養のある、頭のいい人物みたいになっている気がする。
筒井康隆だと登場人物は頭はいいがどこか滑稽な感じになっている。
安部公房とかだと登場人物はかなり人工的で容易に作者は尻尾を出さないけれど、基本的に理知的にものを考えるという、そういう人物ばかりなのは矢張作者の知性の反映なのかと思う。
要するに作者が善良な人だとそういう世界観だからどうしても登場人物もいい人ばかりになるし、松本清張みたいにわるいやつ、ばっかりになってしまうという場合もあるわけかな?
吉行淳之介氏は、青春時代に自分に似た感性の持ち主の著作家を探すために古今東西の書物の濫読をした、と書いていたが、吉行氏の場合だと登場人物はセンシティヴで、淫靡で官能的な、なんだかセックスに特別なコンプレックスのある人物ばかりである。
ただ、セックスとかにコンプレックスのない人はあんまりいなくて、それでフロイトの心理学とかが成り立つのかもしれない。
凡そ人間の赤裸々な姿、本質的な人間存在?を焙り出すための恰好の対象として、セックスが文学とかでは扱われている、そういうことかと思う。
文は人なり、といいますが小説を書いてみせるとその人が一番如実に表れるのかもしれないですね・・・
(2018.8.9)
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