「こころ」(夏目漱石)読んだことある?

(これは先日の「夏目漱石の日」にアメブロに投稿したものです)


 夏目漱石のこととかよく知ったかぶりをしているが、あんまり詳しいというわけでもない。「こころ」という代表作のあらすじとかテーマについて短く要約してみよ、などという設問があったとしたら少し困る。えーとKという友人がいて、主人公は先生だが、それはその人を慕っている若い友人が最初の語り手だからで…とかは言えるが、テーマとかになると、うーん、「恋は罪です」などというセリフがあって…恋の成就によって友人が自殺して…先生は幸せにはなれないと思っていて、ということはつまり恋というような本質的なものが恋敵という随伴しがちなものによって不幸の種になったという皮肉な物語なのだから人間存在の悲劇的な運命?儚さ?つまりは人間の哀しさを言いたいのだろうか?…などと無い頭を絞ってみても陳腐な字句が並ぶのが関の山である。これはつまり、ストーリーがあるテーマを表現している、そういうことがだいたいわかりにくいというアタマだからかもしれない。言いたいことというのがはっきり定まっているのなら、なぜそれを直接に言わないのか。寓話という言い方があるが、複雑な物語にしないと伝えられない寓意などというものが万人に完璧に伝わるはずもない。「私の正しい意図は…」などと後で作者が解説するくらいなら、テーマをはっきり書いて、たとえ話として書けばよい、などと思ってしまうのだ。たぶん小説というのはそういう発想とは相いれない別のもので、だいたい小説を読んだり書いたりするのに向いていない。皆が小説を好むのはまずセンセーショナルな題材や描写、モデルや背景があってこそであり、作者のネームバリューや作品のテーマというのは普通二の次である。映画になりうるおしゃれなものだから小説にはレーゾンデートルがあり、洒落のみに終始する、つまりナンセンスなジョークで常識にゆさぶりをかけたいという意図で何かが書かれる場合もあって、小説という形式にとって本来的なのはこうした普通「本格的」とは言われない、「外道」のようにも僕には思われる。現代では形式としての芸術では漫画と小説が逆転してきているのではないか。迫力があって、ビジュアルなインパクトの強い映像や劇画が、シリアスな内容を表現するためには有利であって、イメージングが弱い小説が弱い訴求力でシリアスなテーマを語ってもどこか隔靴掻痒というか、古色蒼然、というアナクロニズムにならざるを得ないのが今の状況ではないか。小説の黄金時代の最も輝いていた夏目漱石が本格的な小説を大真面目に書くのはセンセーショナルですらあったろうが、現代ではすでにして有名な人物が小説を書くか、メディアミックスの既視感に頼るしか、本当の意味ではセンセーショナルなインパクトを、小説は持ちえないのではないか?では現代における小説というジャンルの存在意義は何か?漱石と同等の人格や才知がある小説家がいればどういう文学活動をするであろうか?そこまではよくわからない。しかし僕は及ばずながら実作の中でその答えを模索しているつもりなのである…


(2021.2.21)

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